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2010/09/01

Santiagoが "STATUSdesign" に登場!

STATUSdesign - ステイタスデザイン - という雑誌に、
ティエンポのセンター長、サンティアゴのインタビュー記事が記載されました。



ティエンポがどうやって誕生したのか、どんな団体なのか、
とても分かりやすい記事になっていますので ご紹介します。


<以下 インタビュー記事転載>



大切なことは、人々の「動き」を生み出すこと。
そこから、すべてが始まるのです。


1993年、福岡にやってきた1人の若きアルゼンチン人が情熱のすべてを注いで始めたイベロアメリカ(スペイン語、ポルトガル語圏)の文化を発信する試み「ラテン文化センターティエンポ・イベロアメリカーノ」。
今では福岡の夏を彩る定番イベントとなった「イスラ・デ・サルサ」の主催団体としても有名だ。休むことなく次々に打ち出される企画は、福岡のみならず全国的に注目を集めている。
今年の7月には、現在の天神と赤坂にある二つの拠点を統合し、大名の「Daimyo11511」に本拠地を移すことが決定している。
止まることを知らないセンター長 サンティアゴ・エレーラ氏のエネルギーはいったいどこから生まれるのか?



23歳、祖国アルゼンチンを飛び出し世界中を旅した。


- 20代の時にバックパックで世界中を旅されたそうですね。

サンティアゴ(以下S) 私は、アメリカ・シアトルで生まれ、6歳までフランス暮らし、学生時代はアルゼンチンで過ごしました。23歳の時に、もっと色々な国を見てみたいと思い、なにも考えずに600ドルをポケットに入れてニューヨークに行きました。2・3ヶ月で帰ってくると家族に告げて行ったのですが、結局3年間帰りませんでした(笑)
ニューヨークからカナダに行き、ヨーロッパへ渡り、ゴルバチョフがペレストロイカをとなえていたソビエトに行き、気がついたら列車に乗って中国に来ていました(笑)
そんな旅の途中に、とても気が合うスウェーデン人と出会いました。「自分は日本のフクオカという街で英語を教えている」と彼が言ったのです。それが、生まれて始めて聞く「フクオカ」という地名でした。それをふと思い出し、日本に行くことを決め、福岡でも数ヶ月を過ごしました。他にも韓国、パキスタン、インド、ネパールなど40カ国をまわりました。最後にサハラ砂漠を見て、アルゼンチンの家に帰りました。


- 世界中をまわって若き日のサンティアゴさんはなにを得たのでしょう?

S 例えば、インドの街角には、普通に人間の死体が放置してありました。私たちは「一生」という言葉を頻繁に使いますが、道ばたに横たわるように死んでいる人間の「一生」とは、いったいどういうものなのでしょう?旅は、重要な「問い」を私にもたらせてくれました。


- その後、また福岡に来ることになるのですね?

S 楽しい仲間たちと出会えた福岡に戻って来て2年程は、スペイン語を教えながら囲碁に夢中になりました。 囲碁を通じて、私は日本を学んだような気がします。ヨーロッパにはチェスというゲームがありますが、チェスの目的は、王様を殺すこと。でも囲碁には、王様のような中心がありません。全体を読み取るセンスとバランスが勝敗を左右します。まさに東洋の神秘にふれているような体験でした。


ティエンポの誕生


- ティエンポ・イベロアメリカーノを始めたきっかけは?

S 福岡の人達にラテンアメリカという存在を近くに感じてほしいと思ったのがきっかけです。ティエンポでは、一緒にプロジェクトを実施するために、日本人と外国人が集まります。国籍の違うもの同士が何かを始める時、お互いのことを理解せざるを得なくなります。人種や宗教、生活習慣や物事に対する価値観が違う人々が出会い、対話を始めることが文化的行為なのだと思います。また、「違い」を体感することにより知識が豊かになっていきます。
ティエンポは、そのような行為が生まれる場所でありたいと思っています。


- 日々の活動の中で大切にされていることとは?

S 「ティエンポも大きくなったね」とよく人に言われるのですが、ティエンポは、私が決めた大きな目標にみんなを導いていくという組織ではないのです。個人の目標があり、そこに向かってそれぞれが歩んでいくというものです。行く先は別々でよいのです。
現在、私たちの組織を経て、メキシコやキューバに旅立ち、そこで暮らしている仲間達が沢山います。ティエンポが彼や彼女らの行動力を起こさせるきっかけになったとしたら、それが私たちの喜びなのです。


- ここを訪れる人は、そのような考え方が新鮮なのかもしれませんね。

S 私たちは合理性に基づいて活動しているわけではありません。例えば、毎年夏に開催する「イスラ・デ・サルサ」というイベントの制作や運営のほとんどすべてを、われわれは、仲間達と共に自力でおこなっています。ステージの看板も一ヶ月かけて自分たちでつくります。
非合理の極みです(笑)それでも私たちは余計な何かにこだわっています。合理性からこぼれ落ちるものの中に人を感動させる何か、人生という名に値する何かがひそんでいると信じています。手間ひまかけ過ぎてスタッフにいつも怒られているのも事実ですが(笑)


- 7月には、新しい拠点が大名に誕生するそうですね。様々なプロジェクトを抱えて不安はありませんか?

S 私たちがもっとも力と注意を注いでいることは、自分たちのイニシアティブを守り続けることです。では、何をしなければならないのか?それは、人々の「動き」を生み出すことです。それから、驚きを与え続けること、クリエイティブであることを優先すべきだと思っています。もし、経済的な利益だけが目的だとしたら、不安ばかりの毎日でしょうね。


- 最後に、世界中を旅したサンティアゴさんから見る福岡という街はどんな街ですか?

S 都会ですね。でも世界中の大都会が抱えているような悪い習慣をこの街は持っていません。素晴らしい街ですよ。ここを訪れた多くのミュージシャンやアーティストはこの街が大好きになって帰っていきます。昨年来日した、ラテン音楽のスーパースター、ファン・ルイス・ゲラは、夏の百道浜でのライブの体験に感動して、3月に出した新曲で福岡のことを歌っているのですよ。
「夕日が空のキャンパスを染め、百道浜を歩いた。僕の夢〜」という歌詞です。
信じられないぐらい凄いことです。



Plofile
Santiago Herrera (サンティアゴ・エレーラ)
1967年生まれ。出生地はアメリカ。その後6歳までフランスで暮らす。初等・中等・大学はアルゼンチン・ブエノスアイレスで修了。世界40カ国を旅行後、1993年来日。1997年に「NPO団体ラテン文化センターティエンポ・イベロアメリカーノ」を始動。現在、同センター理事兼センター長を務める。

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