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2010/09/25

私の翼… マントン・デ・マニラ

フラメンコ講座講師タリタが語る
フラメンコにおける西洋と東洋の文化交流




「フラメンコ」の衣装の一部としても重要な役割を果たす「マニラ (フィリピン) のショール」という名のマントン・デ・マニラ。フラメンコを観たことのある方なら、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
このショールの由来となっているのは、名前から想像ができるように、旧スペイン植民地であったフィリピンの首都マニラ。でも、その起源は中国なんです。絹でできたこのマントンは16世紀に西洋へ渡ってきました。当時は様々な品が東洋から伝わってきていた時代。マニラ港は主にアジアとメキシコのベラクルス港、スペインのセビージャ港を結ぶ重要な寄港地でした。

西洋に渡ってきたマニラのマントン、当時は中国らしい刺しゅうが施されたものが主流だったんですよ。たとえば、ドラゴンや竹、仏堂など。大きさは今と同じ、両腕を広げた状態で手首から背中全体を覆うことがでるサイズ。広げた両腕と体で十字架ができる大きさ。
その後、刺しゅうデザインが花言葉的意味合いを含めた鳥や花のデザインになり、スペインで房飾りを加えるようになってから、マントン・デ・マニラはセビージャを中心にスペインの女性たちに大流行。(例えば、菖蒲は純潔、マーガレットは焦燥、薔薇は秘密、ヒマワリは忠治さの象徴として。)一般階級から上級階級まで女性たちはおしゃれの一部としてマントン・デ・マニラをまとい始めました。流行が去った後も、フラメンコ界の女性達には衣装の重要な一部として使われていたのが、現在のマントン・デ・マニラなんです。


マントン・デ・マニラはスペインに伝わってからずっとフラメンコ界の女性達に愛用されていました。La Macarrona, La Malena, La Argentina, Pastora Imperio, La Niña de los Peinesなどの歴代女性舞踊家・歌手たちは素晴らしい刺しゅうを施したマントン・デ・マニラを纏い、写真にその姿を残しています。
でも、舞踊家にとってマントン・デ・マニラは単なる衣装のお飾りではないんです。踊りにマントンを取り入れるには、それなりのテクニック、修練が不可欠。いかに身体の一部として扱えるか・・・ 多くの舞踊家、振り付け師が主張するように、しっかりマントン・デ・マニラを扱えてこそ、それは踊りをより素晴らしいものにしてくれる美しいスパイスになりえるんです。「soleá del mantón」で知られるMilagros Menjíbar や Blanca del Reyのように、マントンの扱いの美しさでその名を世に広めた舞踊家もいます。
私にとってマントンは、両腕から広がる大きな翼。自由の象徴、思いのままに空を飛び回るために与えられた羽のようなものです。  



フラメンコ講座講師: Talita Sanchez ~ タリタ・サンチェス
舞踏家であり、プロデューサーでもあるアナ・ゲレーロの娘で、幼少期からダンス学校で様々なジャンルのダンスを学ぶ。フラメンコの名門「アモール・デ・ディオス」でフラメンコの技術を大成する。1994年、母アナ・ゲレーロと共にダンス講師やダンサーの団体を設立。様々なダンスフェスティバルを開催、多くの楽団と共演し、表彰されている。同時に、国内外でのフラメンコの指導にも力を入れている。

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