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2010/09/25

タンゴ版「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」

タンゴ講師として来日中のブルーノとシンティアから
おすすめタンゴ映画をご紹介。


“CAFE DE LOS MAESTROS” 
邦題:「アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち」
監督:Miguel Kohan (2008)   日本配給: スターサンズ http://starsands.com/tango/





今回は日本でも今年劇場公開されたドキュメンタリー映画作品「CAFE DE LOS MAESTROS ~ アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち」を紹介します。2006年、ブエノスアイレスの最も古いレコーディングスタジオで、1940年代から50年代に活躍し、アルゼンチンタンゴの黄金時代を築いた歌手、ミュージシャンたちが1枚のアルバムを録音するために感動的な再会。その模様を収録したのがこの映画です。

この作品に参加しているアーティストを知らない人達にとって、アルゼンチンタンゴの歴史やその移り変わり、タンゴという世界を知るには絶好の作品だと思います。
既にタンゴに詳しい人達には、これまで音源でしか聴けなかったような巨匠達が実際に演奏、歌っている姿を見れる貴重な機会。これは、ちょっと感動的ですよ。

私たちにとってこの映画は、胸を揺さぶられるような大きな感銘を与えてくれた作品です。それは、単にタンゴの巨匠たちをステージ上で見ることができたということだけではなく、それぞれの普段の生活に触れることができ、そしてタンゴが一人ひとりの人生にどれぐらい刻まれ、違った人生哲学を与えてきたかを目の当たりにすることができたからです。
また、タンゴダンサーとして、Anibal Troilo、Osvaldo Pugliese、Juan D’Arienzo やCarlos Di Sarliといったトップクラスのオーケストラのミュージシャンのプライベートな部分を知るというのは、今後の活動にとて貴重なものとなりました。

タンゴ受講生の皆さんに限らず、タンゴファン、音楽愛好家の方、そしてタンゴに少しでも興味のある方、全ての方におすすめしたい作品です。DVDが出たら、是非観てみてくださいね。




タンゴ講座講師:
Bruno & Cinthia ~ ブルーノ&シンティア

ブエノス・アイレスからタンゴ界新星のペアダンサー、 シンティア & ブルーノが初来日、12月よりタンゴ講座の講師を務めます。 アルゼンチン国立芸術大学 (I.U.N.A)で舞踊を学び、「第4回 ブエノス・アイレス タンゴ選手権ミロンガ部門 1位」、第6回 タンゴ世界大会」ではファイナルに残るなど、若手ペアながら実力が認めれれているダンサー。現在は、出身校I.U.N.Aのタンゴ舞踊団の所属ダンサーとして、また振付助手として活躍する他、若手ダンサーを集めた舞踊劇団「プント・カチ」を主宰。

私の翼… マントン・デ・マニラ

フラメンコ講座講師タリタが語る
フラメンコにおける西洋と東洋の文化交流




「フラメンコ」の衣装の一部としても重要な役割を果たす「マニラ (フィリピン) のショール」という名のマントン・デ・マニラ。フラメンコを観たことのある方なら、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
このショールの由来となっているのは、名前から想像ができるように、旧スペイン植民地であったフィリピンの首都マニラ。でも、その起源は中国なんです。絹でできたこのマントンは16世紀に西洋へ渡ってきました。当時は様々な品が東洋から伝わってきていた時代。マニラ港は主にアジアとメキシコのベラクルス港、スペインのセビージャ港を結ぶ重要な寄港地でした。

西洋に渡ってきたマニラのマントン、当時は中国らしい刺しゅうが施されたものが主流だったんですよ。たとえば、ドラゴンや竹、仏堂など。大きさは今と同じ、両腕を広げた状態で手首から背中全体を覆うことがでるサイズ。広げた両腕と体で十字架ができる大きさ。
その後、刺しゅうデザインが花言葉的意味合いを含めた鳥や花のデザインになり、スペインで房飾りを加えるようになってから、マントン・デ・マニラはセビージャを中心にスペインの女性たちに大流行。(例えば、菖蒲は純潔、マーガレットは焦燥、薔薇は秘密、ヒマワリは忠治さの象徴として。)一般階級から上級階級まで女性たちはおしゃれの一部としてマントン・デ・マニラをまとい始めました。流行が去った後も、フラメンコ界の女性達には衣装の重要な一部として使われていたのが、現在のマントン・デ・マニラなんです。


マントン・デ・マニラはスペインに伝わってからずっとフラメンコ界の女性達に愛用されていました。La Macarrona, La Malena, La Argentina, Pastora Imperio, La Niña de los Peinesなどの歴代女性舞踊家・歌手たちは素晴らしい刺しゅうを施したマントン・デ・マニラを纏い、写真にその姿を残しています。
でも、舞踊家にとってマントン・デ・マニラは単なる衣装のお飾りではないんです。踊りにマントンを取り入れるには、それなりのテクニック、修練が不可欠。いかに身体の一部として扱えるか・・・ 多くの舞踊家、振り付け師が主張するように、しっかりマントン・デ・マニラを扱えてこそ、それは踊りをより素晴らしいものにしてくれる美しいスパイスになりえるんです。「soleá del mantón」で知られるMilagros Menjíbar や Blanca del Reyのように、マントンの扱いの美しさでその名を世に広めた舞踊家もいます。
私にとってマントンは、両腕から広がる大きな翼。自由の象徴、思いのままに空を飛び回るために与えられた羽のようなものです。  



フラメンコ講座講師: Talita Sanchez ~ タリタ・サンチェス
舞踏家であり、プロデューサーでもあるアナ・ゲレーロの娘で、幼少期からダンス学校で様々なジャンルのダンスを学ぶ。フラメンコの名門「アモール・デ・ディオス」でフラメンコの技術を大成する。1994年、母アナ・ゲレーロと共にダンス講師やダンサーの団体を設立。様々なダンスフェスティバルを開催、多くの楽団と共演し、表彰されている。同時に、国内外でのフラメンコの指導にも力を入れている。

2010/09/09

「Fukuoka」「Momochi」の名がますます世界に広まる!

昨日、「おすすめCD」としてご紹介したフアン・ルイス・ゲラの新曲
「Bachata en Fukuoka ~ バチャータ・エン・フクオカ (福岡でバチャータ)」

今日9月8日、第11回ラテングラミー賞の各部門のノミネートが発表され、何と、
フアン・ルイス・ゲラがこの曲で
- Mejor Canción Tropical (ベストトロピカルソング)
- Mejor Video Musical Versión Corta (ベストミュージックビデオ)
2部門にノミネート!

この他に同曲が含まれる新アルバム「A Son De Guerra」で
- Album Del Año (ベストアルバム)
- Mejor Album Tropical Contemporáneo (ベストコンテンポラリートロピカルアルバム)
にも名が挙がっており、合計4部門にノミネートされています。

第11回ラテン・グラミー賞の授賞式は2010年11月11日、ラスベガスのマンダレイ・ベイ・リゾートで行われ、米国最大のスペイン語放送局ユニビジョンで放送されます。

ラテン音楽だけでグラミー賞をやってしまおうと言うのだから、それだけラテン音楽が世界で愛されている証拠ですね。このラテングラミー、ポップスやロック、コンテンポラリーからフォルクローレまで様々なカテゴリーがあるので、今流行りのラテン音楽は何かチェックするのに見逃せません。

さて、フアン・ルイス・ゲラ、我らが「Bachata en Fukuoka」で賞を獲得して欲しいですね。これでますます「Fukuoka」「Momochi」の名が世界に広まること間違いなし!




ラテン・グラミー賞(西:Premios Grammy Latinos)は2000年に創設されたグラミー賞のラテン版。主催はラテン・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ&サイエンス(LARAS)。
http://www.latingrammy.com/

2010/09/07

Bachata en Fukuoka

“Yo canté tu bachata aquí en Fukuoka ...  ”
(僕はここ福岡で君のバチャータを歌ったよ…)

昨年アジア初の公演を福岡「第13回ボーダーレスミュージックフェスティバル イスラ・デ・サルサ2009」のステージで果たしたグラミー賞、ラテングラミー賞受賞歴13回を誇るラテン音楽界の帝王、フアン・ルイス・ゲラ。



そのフアン・ルイス・ゲラが、イスラ・デ・サルサでの日本初公演の思い出や感謝の気持ちを込めて綴った新曲「Bachata en Fukuoka ~ バチャータ・エン・フクオカ (福岡でバチャータ)」。もう聴かれましたか?

今年6月にリリースされたニューアルバム「A Son De Guerra」のプロモーションシングルカットとして、3月に音楽配信サイトで先行配信されたこの曲。
突然舞い込んできたこのニュースに、ティエンポスタッフ一同、大興奮! とても光栄に思うとともに大感激しました。


 “Dile a la mañana que se acerca mi sueño, que lo que se espera con paciencia se logra ~  ” 
 (朝に「僕の夢が叶いつつある」と言ってやって。 根気強く願い続ければ、思いは叶う…)

という歌詞で始まるようにフアン・ルイス・ゲラは長年日本公演を夢見て、これまで何度か来日公演の企画がありましたが、実現には至らず。。。
それだけに、昨年8月の来日公演では、日本のラテン音楽ファンを前に自分の音楽を伝えられたこと、見るもの食べるもの全てに大感激。



フアン・ルイス・ゲラの初来日は、ロイター通信、EFE(エフェ)スペイン通信社を通して、世界の600チャンネルへ情報が発信され、雑誌・新聞等、多数の国内外メディアに取り上げられました。前回リリースしたアルバムでグラミー賞受賞、ラテン・グラミー賞主要6部門独占受賞(2008年度)を成し遂げているフアン・ルイス・ゲラの新曲には大きな期待が寄せられていただけに、曲のタイトル、そして歌詞で繰り返される「Fukuoka」「Momochi」とは?? と我らが福岡が世界中で今話題を呼んでいます。

私たちの活動をこのような形で、世界中の人達に知ってもらえるのはとても嬉しいこと。
「これからも頑張るぞ!」と大きなエネルギーをフアン・ルイス・ゲラからプレゼントされたような気がします。


「バチャータ・エン・フクオカ」曲が含まれた
ニューアルバム「A Son De Guerra」は
9月にEMI Music Japanより発売予定。

2010/09/05

シヴァダンス (Shiva Nata) って何?

8月からティエンポで新しく開講されたアラビアンダンス講座。
講師として現在来日中の舞踊家Jacqueline Tauil (ジャクリーン・タウイル)さんは、エジブト舞踊やシヴァダンスなども専門として現在活動の拠点としているドイツ・ベルリンを中心に公演、講師活動をされています。

今月も「シヴァ・ダンス1回完結ワークショップ」を開講していますが、日本ではまだ聞きなれないこの踊り、一体、どんなものでしょう。ジャクリーン先生に聞いてみました。







シヴァダンスのシヴァ (Shiva)とは?


インドやネパールで信仰されているヒンズー教。ヴェーダ聖典・カースト制度等、多くの特徴をバラモン教から引き継いだ多神教で、輪廻や解脱といった独特な概念が特徴的な民族宗教です。 
ヒンズー教には、三神一体(トリムルティ)とよばれる近世の教義があり、「中心となる3神、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァは一体をなす」とされています。そう、シヴァはその3最高神のなかの一神。宇宙原理の中で、ブラフマー神が創造(スリスティ)、ヴィシュヌ神がその維持と繁栄(スティティ)、シヴァ神が破壊(プララヤ)を司っていると考えられているんです。その中でもシヴァ神は、世界の寿命が尽きた時、世界を破壊して次の世界創造に備える役目をしている重要な神の1人として扱われています。

左の写真は、シヴァ神を表す像。胴体からのびる4本の腕。それぞれのポーズをとる4本の手は、それぞれ象徴的な道具を持っているところを表現しています。

一つ目は、ダマルと呼ばれる砂時計形の胴をもつ両面太鼓を持つ手。この太鼓で世界創造のリズムを取ると言われています。

そして二つ目の手には、 「再生」「破壊」「現世」を表す先が3つに分かれた「トリシューラ」と呼ばれる鉾を。三つ目の手には「破壊」と「浄化」を意味する火炎(アグニ)。そして、最後の手は、「保護・庇護」を象徴した型をとっています。
踊っているかのような両足の動き。持ち上げている左足は、救いの道の方角を指し、そしてしっかりと地面に踏みつけている足は、悪を破壊することを象徴しています。

シヴァ神は、ナタラージャ(Nataraja)とも呼ばれています。"Nata"は「踊り」、"Raja"は「王」、「踊るシヴァ神」という意味。シヴァ神は「踊りの神様」とも言われ、彼の踊りは宇宙のリズムであり、統一性の象徴で存在のリズム。踊りで、宇宙を創造し、維持し、世界の終わりに 宇宙を破壊し、また創造する、宇宙の再生を導いていくと考えられているんです。その姿を描かれたのがこの写真の像なんですね。


シヴァ・ナタ (シヴァダンス) ってどんな踊り?

意識のコントロールと開放のヨガ的エクササイズ

「シヴァ神の踊り」の名がついたこのシヴァ・ナタ (シヴァダンス)は、武道と古来のシヴァ神の踊りから作られたこのトレーニング法は、手と足の一連の動きを組み合わせながら、身体を整え、集中力、心と体の一体化、バランスを保つ訓練。同時に肢体の筋肉も鍛えることができます。運動と同時に呼吸法、精神統一、リラクゼーションも取り入れているので、ダンスというよりピラティスやヨガのようなエクササイズと表現した方がイメージにあうかもしれません。

私が習得したシヴァ・ナタは、ウクラニア人の Andrey Lappa (アンドレイ・ラッパ. 旧ソビエト連邦で最も影響力あるヨガマスターの一人) が数式をベースに編み出したトレーニング法です。
写真のように4つの水平な腕の動きと、4つの垂直の動きの組み合わせで成り立っており、それぞれの動きに数字の番号がついていて、その数番を組み合わせていきます。腕と足の位置が複雑に組み合わさっているため最初は混乱した状態になりますが、次第に整然とした、調和のとれた感覚を得ることができるんですよ。心と体が支配しているものから解き放たれるような感じでしょうか。





このシヴァ・ナタ (シヴァダンス)は、ほんの12年の歴史しか持っていません。
世界中に修行者がいますが、なかなかレッスンを受ける機会に恵まれていないというのが現状。男性、女性、また経験を問わずチャレンジできますので、是非 私と一緒に是非シヴァ・ナタにトライしてみてください。 

2010/09/01

Santiagoが "STATUSdesign" に登場!

STATUSdesign - ステイタスデザイン - という雑誌に、
ティエンポのセンター長、サンティアゴのインタビュー記事が記載されました。



ティエンポがどうやって誕生したのか、どんな団体なのか、
とても分かりやすい記事になっていますので ご紹介します。


<以下 インタビュー記事転載>



大切なことは、人々の「動き」を生み出すこと。
そこから、すべてが始まるのです。


1993年、福岡にやってきた1人の若きアルゼンチン人が情熱のすべてを注いで始めたイベロアメリカ(スペイン語、ポルトガル語圏)の文化を発信する試み「ラテン文化センターティエンポ・イベロアメリカーノ」。
今では福岡の夏を彩る定番イベントとなった「イスラ・デ・サルサ」の主催団体としても有名だ。休むことなく次々に打ち出される企画は、福岡のみならず全国的に注目を集めている。
今年の7月には、現在の天神と赤坂にある二つの拠点を統合し、大名の「Daimyo11511」に本拠地を移すことが決定している。
止まることを知らないセンター長 サンティアゴ・エレーラ氏のエネルギーはいったいどこから生まれるのか?



23歳、祖国アルゼンチンを飛び出し世界中を旅した。


- 20代の時にバックパックで世界中を旅されたそうですね。

サンティアゴ(以下S) 私は、アメリカ・シアトルで生まれ、6歳までフランス暮らし、学生時代はアルゼンチンで過ごしました。23歳の時に、もっと色々な国を見てみたいと思い、なにも考えずに600ドルをポケットに入れてニューヨークに行きました。2・3ヶ月で帰ってくると家族に告げて行ったのですが、結局3年間帰りませんでした(笑)
ニューヨークからカナダに行き、ヨーロッパへ渡り、ゴルバチョフがペレストロイカをとなえていたソビエトに行き、気がついたら列車に乗って中国に来ていました(笑)
そんな旅の途中に、とても気が合うスウェーデン人と出会いました。「自分は日本のフクオカという街で英語を教えている」と彼が言ったのです。それが、生まれて始めて聞く「フクオカ」という地名でした。それをふと思い出し、日本に行くことを決め、福岡でも数ヶ月を過ごしました。他にも韓国、パキスタン、インド、ネパールなど40カ国をまわりました。最後にサハラ砂漠を見て、アルゼンチンの家に帰りました。


- 世界中をまわって若き日のサンティアゴさんはなにを得たのでしょう?

S 例えば、インドの街角には、普通に人間の死体が放置してありました。私たちは「一生」という言葉を頻繁に使いますが、道ばたに横たわるように死んでいる人間の「一生」とは、いったいどういうものなのでしょう?旅は、重要な「問い」を私にもたらせてくれました。


- その後、また福岡に来ることになるのですね?

S 楽しい仲間たちと出会えた福岡に戻って来て2年程は、スペイン語を教えながら囲碁に夢中になりました。 囲碁を通じて、私は日本を学んだような気がします。ヨーロッパにはチェスというゲームがありますが、チェスの目的は、王様を殺すこと。でも囲碁には、王様のような中心がありません。全体を読み取るセンスとバランスが勝敗を左右します。まさに東洋の神秘にふれているような体験でした。


ティエンポの誕生


- ティエンポ・イベロアメリカーノを始めたきっかけは?

S 福岡の人達にラテンアメリカという存在を近くに感じてほしいと思ったのがきっかけです。ティエンポでは、一緒にプロジェクトを実施するために、日本人と外国人が集まります。国籍の違うもの同士が何かを始める時、お互いのことを理解せざるを得なくなります。人種や宗教、生活習慣や物事に対する価値観が違う人々が出会い、対話を始めることが文化的行為なのだと思います。また、「違い」を体感することにより知識が豊かになっていきます。
ティエンポは、そのような行為が生まれる場所でありたいと思っています。


- 日々の活動の中で大切にされていることとは?

S 「ティエンポも大きくなったね」とよく人に言われるのですが、ティエンポは、私が決めた大きな目標にみんなを導いていくという組織ではないのです。個人の目標があり、そこに向かってそれぞれが歩んでいくというものです。行く先は別々でよいのです。
現在、私たちの組織を経て、メキシコやキューバに旅立ち、そこで暮らしている仲間達が沢山います。ティエンポが彼や彼女らの行動力を起こさせるきっかけになったとしたら、それが私たちの喜びなのです。


- ここを訪れる人は、そのような考え方が新鮮なのかもしれませんね。

S 私たちは合理性に基づいて活動しているわけではありません。例えば、毎年夏に開催する「イスラ・デ・サルサ」というイベントの制作や運営のほとんどすべてを、われわれは、仲間達と共に自力でおこなっています。ステージの看板も一ヶ月かけて自分たちでつくります。
非合理の極みです(笑)それでも私たちは余計な何かにこだわっています。合理性からこぼれ落ちるものの中に人を感動させる何か、人生という名に値する何かがひそんでいると信じています。手間ひまかけ過ぎてスタッフにいつも怒られているのも事実ですが(笑)


- 7月には、新しい拠点が大名に誕生するそうですね。様々なプロジェクトを抱えて不安はありませんか?

S 私たちがもっとも力と注意を注いでいることは、自分たちのイニシアティブを守り続けることです。では、何をしなければならないのか?それは、人々の「動き」を生み出すことです。それから、驚きを与え続けること、クリエイティブであることを優先すべきだと思っています。もし、経済的な利益だけが目的だとしたら、不安ばかりの毎日でしょうね。


- 最後に、世界中を旅したサンティアゴさんから見る福岡という街はどんな街ですか?

S 都会ですね。でも世界中の大都会が抱えているような悪い習慣をこの街は持っていません。素晴らしい街ですよ。ここを訪れた多くのミュージシャンやアーティストはこの街が大好きになって帰っていきます。昨年来日した、ラテン音楽のスーパースター、ファン・ルイス・ゲラは、夏の百道浜でのライブの体験に感動して、3月に出した新曲で福岡のことを歌っているのですよ。
「夕日が空のキャンパスを染め、百道浜を歩いた。僕の夢〜」という歌詞です。
信じられないぐらい凄いことです。



Plofile
Santiago Herrera (サンティアゴ・エレーラ)
1967年生まれ。出生地はアメリカ。その後6歳までフランスで暮らす。初等・中等・大学はアルゼンチン・ブエノスアイレスで修了。世界40カ国を旅行後、1993年来日。1997年に「NPO団体ラテン文化センターティエンポ・イベロアメリカーノ」を始動。現在、同センター理事兼センター長を務める。