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2010/12/22

「嘘をついてもよい日」: El Día de los Inocentes (España)

12月28日はスペインの伝統的習慣
「嘘をついてもよい日」
<スペイン語原文は下>


師走の一番忙しい時期、年末の28日は「El Día de los Inocentes」(無邪気な子供たちの日) の日。 いわゆるスペイン版エイプリルフールとでも言いましょうか、嘘をついても許される日なんです。
しかしこの「El Día de los Inocentes」、もともとはキリスト生誕にまつわる忌まわしい出来事があり、その犠牲になった子供たちを供養するという今とは全く異なった宗教的意味を持つ日でした。キリスト生誕時代の暴虐な王、ヘロデ王。「ナザレに救世主が誕生した!」という噂を聞きつけ、恐るべしキリストの力を葬らなければ!と、ベツレヘム中の2歳以下の子供を虐殺するという恐ろしい出来事が由来となっています。ただ、聖書にはこう記述されているものの、実際にこのような事実があったという歴史的資料もなく、解釈は人それぞれ。事実かどうかはともかく、へロデ王の企みはナザレにいたマリア、聖ヤコブに伝わり、まんまとエジプトに逃げられ救世主キリストは救われた、と聖書には書かれています。当時ピラミッドができたばかりの土地へのバケーションも兼ねて・・・ というのは冗談。


さて今、この日をスペインの人々がどのように過ごしているか。一般的なのは、人の形に切った紙に「俺はバカだ」とか「俺を蹴ってくれ」なんていたずら書きし、そっと誰かの背中に貼る。通りすがりの人は、背中にこの紙を見つけると、「あ~ この人やられたなぁ…」なんてクスっと笑ったり。これはまだ他愛もない冗談。友人間で誰かをターゲットにして騙す、そして最後に「Inocente! (イノセンテ)」と言って笑いあったり。ただ、気を付けないといけないのが、この日のTVやラジオ、新聞でのニュース。日本では考えられませんが、報道番組などで、まじめにありえないようなニュースが流されます。(要注意!! 笑)
ありえないような事件、ニュースなんだけど、あまりにも真面目な顔でキャスターが伝えるものだから、一瞬騙されそうになってしまうんです。例えば、「今日、スペイン、日本両国の内務省官房長官が会見を行い、2015年からスペインと日本を統合し、一つの国として国政を行っていくと発表されました。スペイン王室、日本皇室双方が合意しており、統合後は経済的…」なんてニュース。
さすがにエイプリルフールでも日本のマスコミがこの種の冗談を公共の電波や紙面を使って流したりはしないでしょう? 信じられないけど、本当の話。スペイン政府観光局のウェブサイトにも「新聞やテレビでは、実際に嘘のニュースが報道されることがありますのでご注意ください。」と注意が促されています。だから、この日にスペインに滞在する予定のある皆さん、マスコミ報道を含め周囲の人から騙されないようにご注意を。そして、あまりにもダークなジョークはさすがの冗談好きのスペイン人も引いてしまいますので気を付けて。

¡Feliz Día de los Inocentes!           
 (スペイン語講師イシドロ・ディアス)


El Día de los Inocentes se celebra cada año en la fecha del 28 de diciembre.
En realidad es una tradición cristiana cuyo origen es muy diferente a la tradición que se sigue hoy en día. En la época en que nació Jesús, el rey Herodes I de Judea, mandó matar a todos los niños menores de dos años, ya que una profecía decía que, uno de esos niños acabaría siendo rey de todos los judíos. Como este rey tenía miedo y era un poco hipocondríaco decidió tomar esa drástica medida. Bueno, esto es un hecho que se recoge en la Biblia, pero en realidad no hay ninguna fuente histórica de la época que lo confirme, así que... que cada uno piense lo que quiera. Pero, de haber ocurrido, le salió el tiro por la culata a este rey Herodes, ya que su madre María, su padre José y el mismo Jesús pusieron pies en polvorosa y salieron huyendo, avisados por alguien, de lo que iba a ocurrir. Se fueron de vacaciones a Egipto, que por aquella época las pirámides estaban de moda, estaban muy nuevas y eran lo más.

Ahora la tradición, en España, consiste generalmente en ponerle un monigote de papel en la espalda a alguien, sin que se entere, para que todos se rían de él o ella. A veces, este monigote lleva escrito algo, como, Soy idiota, Dame una patada u otro tipo de anuncios de pequeña mala intención. También es muy normal, en los medios de comunicación, periódicos, informativos de la tele o radio, contar noticias inverosímiles, totalmente increíbles, pero contadas tan real y seriamente que pasan por verdad. Por ejemplo: A partir de 2015 Japón y España formarán un sólo país, según así lo han acordado los Primeros Ministros de ambos países y con el apoyo manifiesto de los dos monarcas. Esto se debe a la gran amistad que los dos alejados pueblos mantienen desde hace años, lo que ha acabado en una relación extraordinaria de cooperación económica y política tal que, sólo la unión entre los dos puede seguir fortaleciéndola. Es la primera vez que dos países tan distantes toman una decisión de este tipo de forma pacífica y con total apoyo de sus ciudadanos y de la comunidad internacional.
¿Increíble, verdad? Bueno, obviamente la noticia es tan rara, que aunque se diga tan seriamente, uno acaba por descubrir que no es una noticia real.
Bueno, está muy bien gastar bromas, pero... no os paséis. Las bromas pesadas no hacen gracia.
¡Feliz Día de los Inocentes!



2010/12/11

El Rincon de los alumnos Vol.4 - タンゴ受講生Tetsuo Fuji さん

500名を超えるティエンポの受講生… 習い事を始めるきっかけ、目標・夢は十人十色。
「リンコン・デ・ロス・アルムノス」は、受講生にレッスンへの思いを語ってもらうコーナー。
今回はサルサにスペイン語、フラメンコにタンゴ・・・ 好奇心旺盛な受講生Tetsuoさんが登場!

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タンゴ受講生Tetsuo Fuji さん


今、手元にティエンポ通信「¿Qué Pasa? ケ・パサ」 創刊号(2001. 5/16)があります。
B5版の見開き4Pの単色刷。第4回総会案内と簡単な行事案内や懐かしいFarid先生の事等が載っています。現在のカラー版とは格段の差です。
在籍して、はや10年余りになりますが、正に¿Qué Pasa?と同様にティエンポの充実振りは目を見張るものです。
ティエンポとの出会いは、イスラ・デ・サルサを観た事でした。先生や生徒さん達のダンスを見て、今まで経験した事のないステップやリズム、楽しそうな雰囲気。自分もあんなに踊れたらいいなと思っていたのに、次回のイスラではステージに立っていました。それからは、度々ステージを経験しました。最初の頃は、男性が少なくて一度に3つのチームを掛け持ちで踊ったりしました。
生徒同志も全員が顔馴染みで、ダンス講師も一人だけ。今は毎週末にある多彩なパーティーも、月に一度位で、それも別の場所で会場を借りて行われていました。開催が少ない分、全員参加みたいな感じでした。
ラテンダンスに続いて、スペイン語を習ったり、アルゼンチンタンゴを始めたりと堰を切ったように続き、ティエンポの多大な影響によりついに初めての海外旅行がアルゼンチン、次にキューバ行きを敢行。訪問先でも、普通の旅とは違った視点で、ダンスレッスンを受けたり、以前来日した先生方と再会しました。
“異芯伝心”を体験できた旅でした。
今回の大名移転で更に設備も充実し、催しも益々多彩となりましたが、ティエンポ独自の道を異文化体験交流というテーマを大切に踏み出してほしいと思います。
個人的なこれからの目標としては断続中のアルゼンチンタンゴを自分で楽器演奏して踊る事です!?

2010/12/10

活動レポート: 「この賞は福岡の皆さんにも・・・」

以前もお伝えしたように、ラテングラミー賞2010年度の授賞式が11月11日(木)の夜、ラスベガスで行われ、2009年に「イスラ・デ・サルサ」出演のため初来日、初アジア公演を果たしたフアン・ルイス・ゲラ (以下JLG) が「Bachata en Fukuoka」(バチャータ・エン・フクオカ)で見事、最優秀トロピカルソング賞を受賞しました。

この曲は、JLGが福岡での日本人ラテン音楽ファンとの交流、夢実現への感謝を込め帰国後に作曲。今年リリースされたニューアルバム「A Son De Guerra」のプロモーションシングルカットとして、3月に音楽配信サイトで先行配信されました。前回リリースしたアルバムでグラミー賞受賞、ラテン・グラミー賞主要6部門独占受賞(2008年度)を成し遂げているJLGの新作には大きな期待が寄せられていただけに、「Bachata en Fukuoka」の発表は世界中のラテン音楽関係者、ファンの間でも大きな反響を呼んでいました。この曲のミュージックプロモーションビデオは最優秀ミュージックショートビデオ部門にもノミネート。残念ながら受賞は逃したものの、この曲が収録されているアルバム「A Son De Guerra」で、この夜最も注目を集める最優秀アルバム賞も獲得。毎年、各部門で名前を連ね、今年も4部門でノミネートされていたJLGは3部門で受賞し、2010年の最多受賞者にも輝きしました。授賞式で、トロフィーを手に「この曲は初めて日本で演奏した時に作った曲。だから、この賞は福岡の皆さんに・・・」とステージ上から受賞への思いを語っていました。(授賞式の模様はこちら) このラテングラミー賞は、今年で10回目を迎えるラテン音楽界最高権威の賞レース。授賞式の模様は米国最大のスペイン語放送局ユニビジョンで生中継されました。

このニュースは福岡の新聞各社でも取り上げられました。
そして今週土曜日12/11 の週末パーティー「サルソン」に、フアン・ルイス・ゲラの「Bachata en Fukuoka」ラテングラミー賞受賞に絡め、KBCニュースピアの取材が入ります。(12/15 18:30~放送予定) 






このような形で、「イスラ・デ・サルサ」の開催地であり、ティエンポの活動拠点でもある福岡という地名が世界的に話題になるに到ったこと、そしてこの賞は13年間一歩一歩活動を続けてきたティエンポにとって、今後の活動の大きな励みになりました。
JLGの心を動かし、福岡をテーマにした曲を作る気持ちにさせたのは、2009年の夏「イスラ・デ・サルサ」開催に協力・支援してくれた皆さん、そして彼とともにステージを楽しんだ皆さんへの賞といっても過言ではないと思います。これからも皆さんと一緒に多くの感動を創り上げていきたいと思っています。

2010/12/09

多国籍なメンバーが創りだすティンバのサウンド

クリスマスにちなんで、今回はティエンポのスタッフ、ラテンダンスインストラクター、サルソンのDJを務めるMarcelo (マルセロ)からおすすめのラブソングをご紹介。


多国籍なメンバーが創りだすティンバのサウンド、
“Ya lo se” - CALLE REAL

¡Hola a todos! 
皆さんこんにちは! あっという間に12月ですね。もしアルゼンチンにいたなら、母にチキンのオーブン焼きを作ってもらい、シードル酒を冷蔵庫に入れて25日午前0時サンタが“あの”プレゼントを抱えてやってくるのを今か今かとソワソワしながら待っているだろうなぁ。ずっと心待ちにしている“ある特別なプレゼント”を心待ちにしながら…(笑)
日本のクリスマスは、子供や恋人たちの日って感じですよね。だから、今回はお気に入りのCDの中でも、クリスマスを迎える恋人達にぴったりのラブソングを紹介します!


紹介したいのは、とってもユニークでティエンポと同じく「異文化の集まり」というサルサオーケストラ。その名も「Calle Real (カジェ・レアル)」。何とスウェーデンのバンドです。メンバーはスウェーデン、チリ、ポーランド、キューバなど、まさにインターナショナルな面々。1999年にトリオで結成されたこのバンドはキューバ伝統のリズム“ソン”を主に演奏していました。そこに才能ある若いミュージシャン達がどんどん加わって新たな音楽性を確立。演奏していた曲ソンがティンバに変わり、北欧ティンバオルケスタの誕生!現在のメンバーは12名。世界最大のミュージック・チャンネル「MTV」で紹介され始めたり、2003年にはキューバの音楽フェスティバルに招待されたりと、彼らの国際的なキャリアが遂にスタート。3年後の2006年にファーストアルバム「Con Fuerza」をリリースして、これが大ブレイク。ロックやポップ音楽、R&Bなどの要素を取り入れた彼の音楽性は独創的なサウンドで、どれも聴き応えのある曲ばかり。同年のラテングラミー賞の「ベスト・サルサアルバム」にもノミネートされました。今や北欧ティンバオルケスタとして世界に名を馳せるグループ。彼らの曲は愛について語っているものが多いです。よく週末パーティーの「サルソン」で流す「Ya lo se」も、その1曲。アルバム「Con Fuerza」に収録されている曲です。是非、一度聴いてみてくださいね。それでは皆さん、
¡Feliz Navidad y Próspero Año Nuevo!


■ Calle Real オフィシャルウェブ http://www.callereal.se/



Marcelo Stella ~ マルセロ・ステラ 
サルサ世界コングレスのオープニングでダンスパフォーマンスを行う他、数々のショーへの出演経験を持つ。また、2000年より度々ラテンフェスティバル“ イスラ・デ・サルサ” のステージに立ち、多くのサルサファンの注目を浴びている。初来日以来、講師活動を通して福岡でのサルサ普及に大きく貢献し、ダンサーとしてまた講師としても日本での実績豊富なダンサーである。最近は、ショー演出や振付師としての活躍も目覚しい。
エジプト舞踊、ベリーダンス、シヴァダンスだけではなく、コンテンポラリーダンス、 コンタクト・インプロビゼーション、タンゴ、ヨガなど、幅広い舞踊ジャンルをこなし、現在拠点のベルリン、イタリア、ブエノス・アイレスなどワールド・ワイドに活躍中のダンサー。

2010/12/06

El Rincon de los alumnos Vol.3 - スペイン語受講生Teruaki Aizawa さん

500名を超えるティエンポの受講生… 習い事を始めるきっかけ、目標・夢は十人十色。
第3回目は、ティエンポでの受講歴10年以上というベテラン受講生、Teruakiさんにレッスンへの思いを語っていただきました。

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El Rincon de los alumnos Vol.3 - スペイン語受講生Teruaki Aizawa さん


中学生の時、ギターの巨匠イエペスの弾くアルベニスの≪グラナダ≫と≪アストゥリアス≫に感動して以来、いつか西語を勉強しようと思っていたのに、大学では仏語と独語を履修したせいで、実際に西語を習い始めたのは、薬院の旧ティエンポまで土曜日に佐賀から往復3時間かけて通い始めたが最初である。習った先生は、(敬称略)ウルスラ、ヘロニモ、イネス、イシ、ロノ他4~5名。8年前に文科省の在外研究で、アバディーン(スコットランド)、サラマンカとバルセロナ、ミラノで学ぶことができ、それ以後も、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学の夏期講習に参加し、カミノ・デ・サンティアゴのごく一部を歩くこともできた。
考えてみると、風景の佇まいは言わずもがな、バレンシアのパエージャ、ガリシア地方のプルポ、兎やセピアといったものを食べることができたことも、西語を続ける気持ちの触媒作用になってきたのだと思う。

この夏休みに2週間ほど、ブダペスト~ウィーン~プラハ音楽・美術紀行と称して、バルトークやドヴォルザーク等の記念館や各地の美術館を訪れたが、プラハの大学でイネスが働いているというので連絡をとったところ、3度もチェコの郷土料理の店に連れて行ってくれた。ビールの美味しかったこと。(イネスに感謝!)ちなみに、チェコでは西語が<はやり>だそうだ。西語を続けている理由は、スペインのどの地方の音楽も風景も祭も料理も人を引きつける独特の何かがあるからなのだと思うが、ティエンポに通い続けることがなかったら、スペイン熱もここまで持続しなかっただろう。最近は、チャルラを通して、スペイン文化を知るのを一番の楽しみにしている。




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次回は、同じく受講歴10年以上の受講生Tetsuo Fujiさんに登場してもらいます。



2010/12/03

スペイン、カタルーニャの ちょっと可笑しなクリスマス風物詩: カガネ人形

2010年もあっという間にもう残すところ1ヵ月。
皆さんにとってはどんな1年だったでしょうか。
まだまだ催し物が盛りだくさんの12月。やはりメインはXmasでしょうか。
そこで今日は、スペインのカタルーニャ州のちょっと面白い風物詩についてご紹介。

カガネ人形 "caganer"
<スペイン語原文は下>

カトリック教の国々でのクリスマス。これまでも何度か紹介してきたように、クリスマスのメインデコレーションはクリスマスツリーよりもベレン (belén)。各家庭、イエス・キリスト誕生のシーンを再現したジオラマ (写真下)を12/8から飾りつけます。ぺセブレ (pesebre)、ポルタル (portal)とも呼ばれ、その大きさは様々。より忠実に再現されたものもあれば、抽象的なものもあり、ジオラマに飾り付ける人形の種類にも違いがあります。主役の母マリア、夫ヨセフ、藁のベッドに寝かされている誕生したばかりのキリストはもちろん欠かせません。そして2匹の家畜、雄牛、雌のラバの姿。何故、2匹の家畜が欠かせないのか、それは大きな体から排出される家畜の息や体温でその場が暖まり、幼いキリストを寒さから守ってくれているのだそうです。


大きな本格的なベレンには、これらの主要登場人物の他に、更に現実味を出すため様々な人形が加わっていきます。羊や羊飼い、畑仕事をしている者達、水売りの人、ラクダや織物をする女性、そしてキリストの誕生を確認しにやって来る従者を連れた東方の三賢者の姿… 誕生したシーンを囲みその周辺での人々の暮らしぶりまでが再現されている箱村のようです。クリスマスが近くなると、公園や公共施設に毎年巨大なベレンも設置され、子供たちの目を楽しませてくれます。お店にはベレン用の小さな人形達が並び、毎年ひとつずつ買い足していったり、古いものを新しいものに買い替えたり。クリスマスツリーと並び、カトリック教国でのクリスマスシーズンの風物詩です。

スペイン観光でも人気の高いバルセロナのあるカタルーニャ州。ここにはベレンには欠かせない、もう一人の登場人物がいます。この登場人物、同じスペインでも他の州のベレンでは見かけることはありません。他の人形達とは離れた所にひっそりと置かれるその登場人物。一般的には小さな子供の姿をした人形です。何故離れたところに置かれるかって?それは、この人形が大きい方の用を足している姿をしているから。もちろんその落し物まで人形の一部となっています。

その名もカガネ (Caganer)。スペイン語学習者なら、何故カガネという名前か想像できますよね。キリスト誕生というとても神聖なシーンに、このような人物像が欠かせないなんて、ちょっと驚きですよね。でも、これは冗談でもふざけているわけでもありません。18世紀から続く列記とした伝統的な意味があるんです。その起源には諸説があるようですが、カガネ人形が落とす排せつ物で土が肥え、また来年が豊作になりますようにと豊穣の祈りを込めているというのが一番主流な説です。また、カガネ人形の姿は生命あるものなら誰もが行なう自然の摂理、人種、貧富の差に関係なく、排泄するものは同じ。つまり平等と平和を象徴しているという説もあります。カガネ人形を見つけ出すと、よい1年が迎えられる、ラッキーシンボルのように考えている人もいて、毎年大きなベレンを見に来た子供たちはカガネ人形探しを楽しんでいます。


このカガネ人形を飾るという伝統は今もしっかり守られているのですが、もう以前のような宗教的意味合いは薄れてきているのが実情。というのも、クリスマスシーズンになると世界中の著名人、その1年に話題となった歌手、スポーツ選手、政治家などそうそうたる面々のカガネ人形が店頭を飾りはじめるからです。皇室の方々や大統領、オバマ大統領など他国の人まで、時の人はみんなカガネ人形になっちゃうんです。スペインでも人気の高い「クレヨンしんちゃん」も「ドラえもん」も「キティちゃん」などのキャラクター達も見かけることができます。今年2月までエスパニョールで活躍していた中村俊輔も昨年は初の日本人としてベレン人形に登場しました。
もはや、ベレンに飾るための人形というよりは、「今年はどんな人たちがカガネ人形として登場するのか」に人々の関心は集まっているようです。このユニークなクリスマスの風物詩、スペインだけでなく、国外でもカガネコレクターがいるそうですよ。そして、最近はカガネ人形のチョコレートやお菓子まで登場。でも、それが例えロナウジーニョや自分の大ファンの人の人形でも、カガネ人形のお菓子は、ちょっと食べる気にはなれませんよね。(笑)
12月にバルセロナに行く予定のある方は、是非、街中を彩るカガネ人形に注目してみてくださいね。
どんな人形があるか興味のある方はこちらで。 http://www.caganer.com/



La extraña y tradicional figura del "caganer" catalán

Como sabéis (que ya lo hemos comentado otras veces) en algunos países católicos existe la tradición navideña de montar, a partir del 8 de diciembre, el llamado "belén", "pesebre", "portal", que es una representación escénica hecha con figuritas del momento en que nació Jesús. Los hay de diferentes tipos, más grandes, más pequeños, más reales, más surrealistas y, algunos de ellos casi no tienen figuras, sólo las esenciales, como la Virgen María, San José, el niño Jesús en su cuna de paja y, curiosamente dos animales, un buey y una mula que, con su aliento y sus grandes cuerpos daban calor al cuerpecito del recién nacido. Los que son más grandes llevan todo tipo de figuras que hacen más real la escena: pastores con sus ovejas, agricultores, aguadores, camellos, tejedoras... y las figuras de los tres Reyes Magos de Oriente, que van a adorar a Jesús, con sus camellos y sus pajes.
Pero en los belenes catalanes hay una pequeña figurita, normalmente de un niño, que está apartado del resto de la gente, ya que, está haciendo sus necesidades mayores, de ahí que se llame el "caganer", que quiere decir "el cagador". Aunque es un poco sorprendente esta figura en la representación del nacimiento de Cristo, la verdad es que su presencia le da naturalidad a todo el cuadro y le pone una nota graciosa.
Parece que su origen data del siglo XVIII y el por qué de la aparición de esta figura pues... aunque no se sabe exactamente, parece que todo indica a que el "caganer", con su acto natural ayuda a fertilizar los campos para que produzcan una buena cosecha.
Lo más gracioso de la tradición actual, que ya no es totalmente religiosa, es que ahora se crean "caganers" con las figuras de personajes de la actualidad, ya sean famosos deportistas, toreros, cantantes, políticos, que estén de moda en ese momento. Así que ya fuera del belén se venden "caganers" de estos personajes como figuritas, pero también hechos de dulce.
No sé, ¿estarán ricos los "caganers" de estos personajes? ¿Te comerías un caganer de Ronaldinho, o de los cantantes de Exile?

2010/12/01

El Rincon de los alumnos Vol.2 - ラテンダンス受講生Takashi Takaiwa さん

500名を超えるティエンポの受講生… 習い事を始めるきっかけ、目標・夢は十人十色。
第2回目は、ティエンポでの受講歴10年以上というベテラン受講生、Takashiさんにレッスンへの思いを語っていただきました。

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ラテンダンス受講生Takashi Takaiwa さん


ミレニアムに当たる2000年に何か新しいことを始めようと思っていた時、前の年に見たティエンポのゼップでのラテンダンスショウを思い出しました。強烈なリズムと早いステップとターン… よしこれだ!と早速当時薬院にあったティエンポに見学に行きダンスクラスに申し込みました。
「やっと男性が入会してくれた」という入会受付けをしてくれたスタッフのゆかりさんの言葉を今でも覚えています。今から思えばティエンポの揺籃期でレストランの二階にあったスタジオには一階レストランからのガーリックの匂いのするなかでステップを踏んでいました。丁度ウンベルト先生からモニカ先生に代わる時で両方の先生から習うことになったのは幸運でした。

感動と緊張の初舞台は当時中洲にあった「ホーランド」というステージのあるレストラン。出演当日になって振り付をしてくれたモニカ先生が、前日の便で帰国されたと聞いたときは急に母親がいなくなって心細くなった子供の心境でした。当時ショーの出演は先生による指名制でしたが男性が少ないせいもあって毎回出演するはめになりました。でも不思議だと思うのは、一度ショーにでるとわくわく感と終わったあとの達成感がクセになるのか、ステージが待ち遠しくなりました。

生徒さんもだんだん増えてきて、その次からはゼップで有料のお客さんたちを前に踊ることになりました。メイクも衣装も本格的になってきて、指導してくれる先生も熱が入ります。ゼップは冬のステージでしたが、夏はご存知イスラ・デ・サルサin能古島です。4年連続でイスラにでましたが、印象に残っているのはティエンポのプロジェクトとしてとりあげたマイケルジャクソンのスリラーです。片腕がポロンととれる怪人になりました。
それと自分の最後のステージになったアラビアンです。早いパーカッションだけのリズムのサルサで始まり、幻想的なアラビアン音楽に変わるとベールの女性たちの素晴らしいベリーダンス… 印象的でした。

その間も躍進を続けるティエンポは、場所を天神に移しアクセスが便利になっただけでなく、スタジオにレストランも併設されて、しかもNPOも取得し成長期を迎えました。10年も在籍しますと先生も入れ替わり立ち代りしますが、それぞれに個性があって面白いと思います。しかし、レッスン曜日、時間が限られているのであまり利便性があるとは思えません。生徒数をもっと増やすポイントはこの辺にあると思います。

大名の新しいスタジオに移ったティエンポはこれから成熟期を迎えます。今までティエンポを通じて沢山の良いお友達に恵まれました。これからは毎週のサルソンを楽しんで、新しくサルソンデビューする人を増やしていきたいと思っています。


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次回は、同じく受講歴10年以上のスペイン語受講生
Teruaki Aizawa さんに登場してもらいます。

2010/11/12

遂に「Bachata en Fukuoka」でラテングラミー賞受賞!!

昨晩(11/11) ラスベガスのマンダレイ・ベイ・リゾートで行われた
第11回ラテングラミー賞の授賞式。
フアン・ルイス・ゲラが3部門で賞を受賞しました。
そのうち、あの「Bachata en Fukuoka」が
Mejor Canción Tropical (ベストトロピカルソング)賞を受賞!

写真:EL SALSERO

福岡にとっては、とっても光栄な賞ですよね。
私たちティエンポスタッフももう大感激!!

2010/11/09

ペルー料理 X 日本料理

Jorge Mendoza
カフェレストラン「サンチョ・パンサ」シェフ
ホルへが語る「ペルー料理と日本料理」


ペルー料理は今、世界中でとても人気があります。
その秘訣は、何と言っても種類の豊富さ。私達の祖先インカ人や、世界中から来た多くの移民から受け継がれた食文化が、料理の種類と幅を広くしているのです。
豊富な資源に恵まれた海では、多種の魚や魚介類が獲れ、新鮮な魚料理を楽しむことができます。



それぞれが独特な味と特徴を持っているペルー料理。それは、「アヒ (Ají)」と呼ばれるペルー独自のスパイスが隠し味となり、それぞれの料理を引き立てているからです。ほとんどの料理がじゃがいもや、お米をアレンジしたものであることも人気の一つと言えるでしょう。そして、多様な食文化を語る上で忘れてはならないのが、ペルー国内の多様な気候です。





キノアのリゾット
現在、ペルー料理はインカ帝国時代の材料をあしらった料理が味わえます。創作料理も豊富で、ちょうど良い辛さの効いた「キノア・リゾット」(キノア (Quinoa)と呼ばれる南米のアンデス地方原産の穀物をお米の代わりに使用) や、魚、魚介をふんだんにあしらった料理はペルー人にも人気が高く、移民から受け継いだ様々なテイストがうまく調合されていると思います。ペルー国内で、もっともポピュラーなメニューは、セビッチェ、チュペ・デ・カマロネスなどです。セビッチェはサンチョ・パンサのメニューにもあるので是非試してみてください。



セビッチェ
私から見た日本の料理は、本当に素晴らしいの一言に尽きます。それは、魚や魚介類の料理だけをとってみてもバラエティーに豊み、日本の風土や季節に獲れるものを本当にうまく利用し、料理で表現している点。何よりも私が素晴らしいと思うのは、甘酢を使った料理で、素材本来の味をうまく引き出す、エッセンスとなっていることです。




Chupe de Mariscos
新鮮な魚を使った料理は、味はもとより、鮮度などにも気を遣い、最高のレベルであると確信しています。
日本料理で私が好きなのは、刺身、味噌汁、天ぷらで、特に、天ぷらは日本古来の味や昔ながらの調理技法を守り続けているのではないでしょうか。
日本の魚の種類の豊富さを見る度に、故郷ペルーを思い出させてくれます。山や海の幸をふんだんにあしらった日本料理はとても美味しいし、料理や素材に合わせて皿を選んだり、何よりも繊細で食欲をそそる盛り付けは、特に学ぶところが多いです。

私が日本料理を語る上で忘れてはならないのは、漬物。家庭でもお店でも脇役ながらもしっかりとその存在を主張しているし、私が日本料理を食べる際には欠かせない一品です。たくさんの漬物が並ぶと、食卓がお祭りのように賑わい、人々を満足な気分にさせてくれますよね。
これからも多種多様なペルー料理を皆さんに紹介し、多くの日本料理や食文化を吸収していきたいと思います。



2010/11/01

El Rincon de los alumnos Vol.1 - スペイン語との出会いはもう15年以上

500名を超えるティエンポの受講生… 習い事を始めるきっかけ、目標・夢は十人十色。
第1回目は、ティエンポでの受講歴10年以上というベテラン受講生、Pedroさんにレッスンへの思いを語っていただきました。


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スペイン語受講生 Uchino さん (通称 Pedroさん)


受講生の皆さん今日は。スペイン語クラスの内野です。
T.Iでのラテンムードを満喫しておられますか?
スペイン語の学習やラテンダンスの上達の先にある皆さんの夢はどんなものでしょうか。夢は少しづつでも実現出来ていますか?

私のスペイン語との出会いはもう15年以上になってしまいました。
その間沢山の友達が出来て,ある人はスペインや南米の方に留学されたり、又習得したスペイン語が、仕事の一部となっている人もいるようです。

2年程前に南米を2週間程旅行してきましたが、その時現地の人達との接触がない旅行なんて全然面白くないなと痛感しました。とは言え、南米は、ブラジル以外の国は全部スペイン語ですから少しは勉強になりました。

そこで、スペイン語の勉強方法について少し考えてみませんか?
日本語での会話が成り立たない外国の人達と会話をする時に、自分の思っている事を相手に伝えることよりも相手の喋っている言葉を理解する事のほうが難しいと思えてなりません。
私はそう考えて、T.Iでの勉強は勿論ですが自宅でラジオのスペイン語講座を聞いたり、ニュース番組を聞くことを心がけています。
スペイン語は我々にとって発音が比較的容易だからいいですよね。でも動詞の時制変化は一寸難しいですね。

でもお互いの夢を満喫出来る様に頑張りましょう!!
定期的な自分のクラスへの出席以外に、もっと皆さんとご一緒できるチャンスがあるといいなーと思っているのですが……….!!

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次回は、同じく受講歴10年以上のラテンダンス受講生
Takashi Takaiwa さんに登場してもらいます。

2010/10/31

ティエンポでアラビアンダンス?? (9月活動レポート)

遅くなりましたが、9月のイベント実施レポートを。。。

《 2010. 9/24 (金) ティエンポ初! アラビアンダンスディナーショー》




ティエンポの移転グランドオープンを機に新規開講したアラビアンダンス講座。
「ティエンポはラテン文化センターなのに、なぜアラビアンダンス??」と疑問に思う方も多いのではないでしょうか。

ティエンポの活動コンセプトは、「人種や言葉、年齢、性別などの壁を超えたボーダーレスなマインドで、ラテン諸国の多彩な文化を、舞踊・アート・音楽・言語・食といった様々な角度から体験しながら、人と人とが生の実感と喜びに溢れた交流を図れる場を作ろう」というもの。
もちろん、ラテン文化に注目する理由は「ティエンポの設立趣旨」に記載されているように、イベロアメリカ(スペイン語・ポルトガル語圏の総称)諸国がコミュニケーションを大切にする文化を持つ国々であること、また千年を越す歴史の中で、好むと好まざると関わらず異質の文化と融合し合いながら独自の文化を築き上げてきたという歴史的背景、土壌があるからです。

つまり、ティエンポはラテン諸国の文化だけにとらわれるのではなく、様々な異なる文化を融合させ、新しい何を生み出していきたいのです。
文化は生きているもの、様々な影響を受け取捨選択されながら融合し、変容していくもの。そのような考えから、これまで様々な異文化交流を行ってきました。ボーダーレスミュージックフェスティバル「イスラ・デ・サルサ」は、タイトルこそ「サルサ」と付いていますが、実際は「サルサ」本来が持つ、いろんなスパイスを混ぜ合わせて新たな味を作り出すというコンセプトが込められています。そして、「異文化が奏でるハーモニーコンサート」ではこれまで、お琴、尺八などとフラメンコギター、ラテンクラシックギターのジョイントコンサートを企画してきました。もちろん、当団体の講座受講生、講師陣が創り出す音楽・舞踊劇「3.2.1. Action!」もその代表例です。そして、今度新たにアラビアンダンス講座を開講し、更なる異文化間の交流を目指したいと考えています。
アラビアンダンスとタンゴを融合させたら、どのようなものが生れるか・・・ 日本の伝統楽器と組み合わせてみたら・・・ なんて想像しただけで好奇心が湧いてきませんか?


8月から新規開講したアラビアンダンス講座。去る9月に講師として来日中の舞踊家ジャクリーン・タウイルさんが福岡で活躍中のアラビアンダンス舞踊家たちと「アラビアンダンスディナーショー」で共演しました。ティエンポでの新しいジャンルのショーということもあり、会場には「初めてティエンポを知った」という方も多く、会場の雰囲気もこれまでと全く違う新しい空気に包まれた一晩となりました。



[出演ダンサー]
Jacqueline Tauil
Dalila Oriental Fantasy
fumi & NAO (from Momoi Belly Dance Studio)



■ アラビアンダンスディナーショーの模様はこちらでご覧になれます。

2010/10/21

東京からのティエンポ賛歌

昨年までスペイン語講座を受講され、現在は東京にお住まいのティエンポの会員 森本芳樹 (九州大学名誉教授、専門: 西洋中世史)さん。
10/1 (金)に開催されたティエンポのグランドオープニングレセプションに東京から駆けつけて下さいました。
「東京からのティエンポ賛歌」と題した素敵な祝辞もいただきましたので、この場でご紹介します。


森本芳樹、76歳の年金生活者です。昨年の総会ではサンチアゴ・エレラ君のお勧めで、間もなく東京へ引っ越す予定だった私は、ティエンポに3年半通った印象をまとめ、お別れの挨拶をさせていただきました。東京で約1年暮らしこの間スペイン語学校に通いましたが、ティエンポが素晴らしかったという思いがますます強くなっている次第です。今日は再び機会を頂きましたので、昨年に続いてティエンポの「賛歌」を話させていただきます。

まず昨年私が強調したことをまとめてみますと、それはティエンポがいろいろな個性を持った方々の生き生きとした共同体だということです。先生方はいろいろな国の男女で肌の色もずいぶん違っており、スペイン語の先生、ダンスの達人、音楽やアートの専門家という構成で、個性を遠慮なく出して授業をし、またイヴェントでも活動しておられます。生徒も老若、男女、経歴、仕事など実に様々で、こちらも個性に応じて自由自在に振舞っています。特に感じたのはその中で、 ティエンポがイベロアメリカーナ文化が一つのまとまりだということを感じさせてくれながら、同時にそれが多様な個人の集合として、従って日々刻々一人一人の活動によって作り出され、新しくされていく有機体だということです。そして福岡という独特な場所にあることで、この文化に新たな色合いを加えているのではないかと思えました。


ますます活動を続けて下さるようにお祈りして、私は9月末には東京へ引っ越しました。それから1年間日本でのスペイン語学習の中心であるセルヴァンテス学院通ってみて、結局「あーティエンポはよかった」とつくづく思っているというのが私の経験です。
セルヴァンテス学院は数年前に8階建ての立派な専用の建物が出来て、その全部を使っています。7階全部を占める図書館やコンピューターによる自習設備も整った立派な施設です。スペイン政府が世界的に設けているセルヴァンテス文化センターの一部であり、スペイン語を中心にスペイン文化を国際的に広めていくための公式の組織です。語学以外の催しもありますが、授業としてダンスや芸術はありません。スペイン語の学校としてクラスの数が多く、入門から上級までの5段階のクラスがそれぞれ複数あり、おのおのの水準が決められた時間数で必ず終わるように進められています。時間通りに始まって終わり、無駄な話はほとんどありません。スペイン語にはDELEという国際的な資格試験があって、セルヴァンテス学院もこれにたくさん合格させることに大きな目標があるようです。


このようにセルヴァンテス学院はスペイン語学校としてはほとんど理想的ですが、ティエンポとはもちろん大きな違いがあります。まず建物に入ってすぐ、セルヴァンテスの受付でもオーラという挨拶は聞けますが、その辺りに先生や生徒や事務局の方々が何人かたむろして雑談している、そこにダンスの衣装になった男女もいるという、ティエンポのような光景はありません。いろいろな空間を使ってティエンポのアートの先生の作品を展覧しているという賑やかさも見られません。スペイン語のクラスにちょっと離れた教室からサルサやタンゴが軽く聞こえてくるという、ティエンポ特有の楽しさもセルヴァンテスにはないのです。
セルヴァンテスでは時間厳守で、先生の遅刻など考えられませんが、興が乗った先生が面白い話を止められなくて授業が終わらないということもなく、そうした機会に教科書にはない面白いことを学んだり、突然生徒の一人が喋りだしたりするという、ティエンポ特有の雰囲気もないのです。
私のよく出席したシネマテカでは、ティエンポにはちゃんとした映写室がなくて映写効果が悪いのは確かですが、映画の選択がとても個性的で、古くても当時大いに問題となった作品や、フランコ独裁期の問題のような社会的な問題作が多い、と思いました。その後の討論が、責任者の先生がどんどん水を向けてきて、スペイン語なのではっきりとは分からないままでも、面白いいくつもの議論を聞くことが出来たのでした。

最後にもう一つ強調したいのは、ティエンポでのサンチョパンサの役割です。シネマテカのときに、まず入場料代わりにワインをサンチョパンサで買って持ち込み、ちびちびやりながら映画を見るというのが私にはとても楽しみでした。サンチョパンサでアルゼンチンのワインを一本とって友達と喋りながら飲み、余ったらビンごともって帰れる、というのも良心的な商売ですが、いろいろなイヴェントがサンチョパンサで行われて、このカフェレストランはまさにティエンポと一体となっていました。私には引越し前最後の授業の場所を、先生にお願いしてサンチョパンサでしてもらい、そこに私が同級の人達を招待してワインで別れを惜しみながら授業をやったという経験があり、とても貴重な思い出となっています。

こうしてティエンポとセルヴァンテスを比べてここで強調したいのは、イベロアメリカ文化センターとしてセルヴァンテスはティエンポに取って代わることはできないことです。几帳面さに劣り、設備がより悪くても、ティエンポが特に多種多様な個人の集まりとして作り出している雰囲気こそが、イベロアメリカの文化を代表していると思われるからです。それはいろいろ雑多な要素や個人をさらに結集していく母胎として、もっと働いていく力をもっていると思います。

設備が新しくなったといってけっしてここで変質することなく、こうして集まっていらっしゃる皆様がティエンポを今までどおりの仕方で、ますます盛んにしてくださるよう祈っております。 

2010/10/19

Himno nostálgico de Tiempo desde Tokio

Discurso del señor Yoshiki Morimoto, catedrático honorario de la universidad de Kyushu, que reside ahora en Tokio durante la recepción de la inaugración de la nueva sede de TIEMPO.



Me llamo Yoshiki Morimoto. Tengo 76 años y soy jubilado. En la asamblea del ultimo año, Santiago Herrera me invitó a dirigir un saludo, en el que resumiera la impresión de Tiempo de los tres años y medio durante los que había sido su alumno, ya que estaba preprando la mudanza hacia Tokio. Allí, en Tokio he estado en una escuela de español, pero el sentimiento de que Tiempo es un sitio imprescindible no paró de crecer. Hoy, puesto que me dan otra ocasión para hablar en la Gran Apertura, quiero continuar ante ustedes mi himno a Tiempo.


En primer lugar, resumo brevemente lo que destaqué el año pasado. Tiempo es una comunidad de mucha gente de gran variedad. Los profesores de distintos países hispanohablantes, con diferentes colores de piel y especializaciones: profesores de español, maestros del baile, especialistas de la música o del arte… Cada uno, no solamente da clases llenas de individualidad, también organiza varios eventos. Por otra parte, los alumnos tienen una composición también muy variable: hombres y mujeres, mayores y jóvenes, de distintas carreras y profesiones. Ellos se comportan muy libremente según la individalidad de cada uno. El conjunto de estos distintos individuos forman un órgano, que, al tiempo que representa lo que es la cultura iberoamericana, le agrega algo nuevo o transforma gradualmente una parte de esta cultura a través de las actividades de sus miembros. El hecho que Tiempo esté en Fukuoka, un lugar original, le añade también algo original a esta cultura iberoamericana.
Después de un saludo para animar a los miembros de Tiempo para que continuaran sus actividades con la misma energía de siempre, me mudé a Tokio a principios de octubre. Mis experiencias con el Instituto Cervantes de Tokio, en el que me matriculé de inmediato, no han sido negativas, pero mi sentimento de que Tiempo había sido un órgano maravilloso se ha ido consolidando más. Esta tarde, intento hablar de estas experiencias para expresar mi sentimento caluroso para la gran apertura del Nuevo Tiempo.


El sitio del Cervantes es un edificio de 8 pisos construido hace poco, que es usado exclusivamente por el Instituto.  El equipo es muy moderno y hay una biblioteca que occupa todo un piso. Se trata de la sección japonesa de esta organización internacional del Gobierno español con el objetivo de difundir mundialmente la lengua y la cultura españolas. Las clases de español son muy numerosas y están bien organizadas en conformidad con los niveles oficialmente determinados de A1 hasta C3. Organiza varias actividades culturales, pero no hay clases de baile ni de arte. La puntualidad es la regla, no hay el retraso, ni al principio de la clase ni a su fin. Con el español hay un examen internacional de calificación, llamado DELE, y el Instituto parece esforzarse en producir el número mayor de aprobados.


Así podemos pensar que el Insitututo Cervantes de Tokio se presenta casi ideal como una escuela de español, pero naturalmente hay una diferencia con  Tiempo. Quisiera decir, no obstante, que este maravilloso instituto no podría reemplazar a Tiempo. Ya  cuando entramos en el Cervantes, en la sala de recepción, entendemos claramente el saludo de ¡hola! de un recepcionista, pero la atmósfera querida de Tiempo, donde unos profesores iberoamericanos, los alumnos japoneses y los recepcionistas se están hablando sobre varios sujetos no existe. Ni la escena llamativa de unas alumnas ya vestidas para bailar. Ni la abundante exposición con obras de los profesores de arte. En el Cervantes no hay esa alegría que en una clase de español se siente al escuchar ligeramente el ritmo de la salsa o del tango.


El Cervantes funciona muy puntualmente. No exite el retraso, pero tampoco hay la atmósfera calurosa, en la que un profesor, apasionado por un asunto favorito, pueda terminar su ultima intervención. Sabemos que a través de tales monólogos, los alumnos pueden a menudo obtener inspiraciones. En esas ocasiones puede succeder también que un alumno aprende, de repente, a intervenir activamente.


En la cinemateca de Tiempo, las instalaciones de proyección no fucionan siempre bien y la imagen proyectada sobre la pared puede a menudo ser vaga. Sin embargo, la elección de la película está muy estudiada y particular. Se trata de obras que han suscitado muchas críticas. Pueden ser unas películas antiguas, pero sobre un periodo problemático, por ejemplo, el del régimen de Franco. La discusión después de la proyección, a menudo difícil de seguir porque es en español, es finalmente muy interesante, debido a que cada película presenta varios temas para discutir y la dirección del organizador es siempre estimulante.


El último punto que quiero destacar es el papel de Sancho Panza y su integración en la vida de Tiempo. En la tarde de cinemateca, ir primero a Sancho Panza para comprar una copa de vino como entrada y apreciar la película con esta consumición fue una de mis grandes alegrías. Poder comprar una botella de vino, beber una parte con amigos y salir finalmente con el vino restante es el negocio concienzudo de este café-restaurante. Sancho Panza ofrece un lugar a diferentes acontecimientos, sobre todo fiestas y bailes. En el momento de mi última clase antes de la mudanza, había pedido al profesor que diera la clase en Sancho Panza, para que yo y mis amigos pudiéramos estudiar al tiempo que decirnos adiós con un poco de vino y de café. ¡Qué recuerdo querido de Tiempo para mí, que fue posible sólo por la incorporación íntima de Sancho Panza!


Esta comparación del Cervantes y de Tiempo me permite subrayar que  Tiempo, en lo que se esfuerza en realizar cada día, no podría ser reemplazado por el Cervantes. Cierto inferior en equipo y en puntualidad, la atmósfera que  Tiempo difunde a su alrededor, como la de una comunidad de individuos muy diferentes entre sí, me parece representar verdaderamente la cultura iberoamericana, la cual podría funcionar siempre como agente que seduce más y más a la gente hacia esta cultura.
Espero que la renovación total del equipo no altere esta comunidad de Tiempo y que se desarrolle todo tal como hasta hoy ha sido.
¡Muchas gracias!                                      

Al ritmo del 2x4








Al ritmo del 2x4 pudimos disfrutar de las cuatro estaciones en la linda Fukuoka...
A un año de vivir aquí aun la ciudad y su gente nos asombran... Fue un año experimental, de filtración de culturas. Recordamos con diversión las primeras palabras aprendidas y la vergüenza al decirlas... los nuevos sabores y texturas de las comidas... los colores y olores de la ciudad... los malabares en las bicicletas... las calles estrechas...
Es muy interesante romper con el estereotipo del Japón que se conoce desde afuera; contrariamente a los tan vistos edificios, Japón cuenta con un mar precioso pero poco famoso... siempre el cemento pinta todo de gris, pero en Japón disfrutamos de un verde que nuestras pupilas no alcanzan... El Japón desde adentro tiene una gran vida natural...
Hablar de la relación con nuestros estudiantes es algo que nos llena de satisfacciones porque creemos que con la mayoría construimos una relación sincera, lo cual involucra todos los modos de relación, por supuesto sin ser ninguno idéntico al otro. El trato personalizado es lo que nos permitió conocer sus emociones, pretensiones, enojos y diversiones... fuimos madurando el modo de comunicación, siempre teniendo mucho respeto a la limitación del lenguaje y cuidando el margen de desentendidos que esto pudiera provocar. Si bien el área de Tango se compone de un grupo de alumnos, nosotros nunca perdimos el sentido individual de cada uno a la hora de responder a sus necesidades...
Estamos profundamente agradecidos al destino, por traernos hasta Fukuoka... A Tiempo, justamente por todo este tiempo... A nuestros compañeros de trabajo, tanto los profes, como el staff y la gente de Sancho, por todas las complicidades... Y eternamente a nuestros estudiantes, por brindarnos su calidad humana usando como medio este gran arte de bailar el Tango...

¡¡Hasta la próxima!!
Bruno y Cinthia (Instructores de los cursos de tango)




2010/10/16

¡BUEN PROVECHO! PINTXOS Y TAPAS

五感で楽しめる 美味しいスペインの「ピンチョスとタパス」の文化


サンチョ・パンサのシェフとして仲間入りしたスペイン出身のシェフGorka (ゴルカ)が、
スペイン観光の目玉の一つでもあるバルのピンチョについて語ってくれました。



 “Ir de pinchos (バスク語では pintxosと表記)” や “Tapear” というスペイン語の表現。「バルに行って、一杯やりながら、軽くつまもうか。」という意味です。スペインのバルカウンターには、目にも楽しいお料理がずらっと並んでいるのを、一度はTV番組や写真でご覧になったことがあるでしょう。スペインのバルに並んでいる一口料理 (小皿料理) をtapas (タパス)又はpinchos (ピンチョス)と言います。バルでお友達同士、楽しくおしゃべりしながら、ピンチョスをつまみワインを一杯。これがスペイン人の大好きなライフスタイルのひとつ ”tapear (タペアール)”。特に日曜、スペインでは、昼食の前 (午後12時~2時頃)には 軽くピンチョをつまみに、そして午後は “fútbol” (サッカー) 観戦にバル街に集う光景をよく目にします。


スペインに根付いているこの “タパスとピンチョス” の文化、今ではスペインを訪れる観光客の楽しみの一つにもなっています。そして一度体験すると、たくさんの人が「忘れられない経験、また行きたい」と感じてしまう。何故でしょうね? 
“タパスとピンチョス” は、時には簡単な昼食、夕食替わりにもなります。特に夏場は、5,6カ所のバルを巡り、それぞれのおすすめピンチョを食べて、夕食替わりに、なんてこともよくあります。それぐらい、各バル趣向を凝らしたピンチョ、豊富なバリエーションを持っているってことなんですよ。だから、飽きることなんてない。(笑)
スペイン人の私には、このバル文化はとっても日常的なこと。だから、取り立てて素晴らしい文化だと感じることはありませんでした。でも、外国で生活している今、あの“タパスとピンチョス”の習慣が恋しくてたまりません。手頃な価格で、ちょっと飲んで、美味しいお料理をちょっとつまめる。それもそんなバルが街のいたる所にある。あんな贅沢ないな、と思うようになりました。

Tapas (タパス)” という名前は、器のふた (Tapa) からつけられました。昔、タパスはワインの注がれたグラスの上に簡単なおつまみ的なものが乗ったパンでふたをしてサービスされていたんです。(写真左) ワインを飲むにはグラスにのせられたパンのふたを外さなければならない。つまり、飲むだけではダメ、ちゃんと食べましょう! ということですね。いいアイデアだと思いませんか? これが今の “タパスとピンチョス” 文化に発展したんですよ。30年前のピンチョやタパスというのは、今とはちょっと違っていたということですね。30年の間に、このワインのふたが、洗練された小さなお料理というカテゴリーとして確立していったんです。実際に、今では見た目にも楽しく、とっても美味しいピンチョやタパスがたくさんあります。調理人が創り出した味わい豊かな小さな芸術品とも言えるでしょう。
スペイン全土、その土地その土地で使う食材も食べ方も様々。アンダルシア地方では、生ハム、オリーブ、小魚のフライなど。サラマンカはチョリソやロモなどが有名。ガリシア地方では、プルポ (蛸)のガリシア風やムール貝、エボシガイ、アサリなど海の幸を使ったお料理が自慢。アンチョビやカタクチイワシの塩漬けが有名なカンタブリア地方。バルセロナを中心としたカタルーニャ地方は新進気鋭のシェフによる芸術品的なピンチョやタパスで有名。
そして、ピンチョを語る時に忘れてならない街、私の生まれたサン・セバスティアン (バスク語ではドノスティア)。フランスとの国境沿い、カンタブリア海に面したこの小さな街は、スペインのピンチョ・タパス文化の代表的な街として知られています。豊富なバリエーション、洗練された味、そしてバルに入った瞬間に胸がわくわくしてしまう美しさ。この街を訪れ、バル巡りをした人は、目を輝かせながらその素晴らしさを語ってくれるでしょう。

どの国にも、一杯飲み屋のような場所はあるかもしれません。でも、スペインのバル巡り、ピンチョ・タパスの文化は、どの国にもないひと味違ったもの。日本の皆さんにも、是非機会があったら、自分の目で、舌で、鼻で…そう五感全部で感じてもらいたいスペイン文化のひとつ。きっと、忘れらない体験になると思いますよ。



カフェレストラン「サンチョ・パンサ」シェフ: 
Gorka Gomez  ~ ゴルカ・ゴメス

スペイン、サンセバスティアン市にある調理師学校Escuela de cocina LUIS IRIZAにて学び、中国大連市の高級イタリア料理レストランにて料理長を務めるなど、10年のキャリアを持つベテランシェフ。
スペインで美食の地で名が知れるバスク地方の出身のゴルカ、サンチョ・パンサでも自慢のスペイン料理を中心に中南米の美味しいお料理を作ってくれます。


Cafe Restaurante SANCHO PANZA Website

2010/10/09

Día de los Muertos ~ 死者の日

死者の花 マリーゴールドの香りで街が包まれる日
Día de los Muertos ~死者の日


10/31日と言えば、そう「ハロウィン」。カトリックの諸聖人の日の前夜祭。本来、2000年以上前のケルト人が秋の収穫を祝い、亡くなった家族や友人たちを思い偲ぶ日であったのが、後にカトリックに取り入れられたものと言われています。

カトリックでは11月1日が万聖節(諸聖人の日)、11月2日が万霊節(諸死者の記念日)となっています。万聖節というのは、全ての聖人を讃え祝う日で、万霊節はまだ清められていない死者の魂を祈る日。そして、その前夜祭が10月31日のハロウィンというわけです。

日本では「ハロウィン」として知られるこのお祭り、スペイン・ポルトガル・中南米にとっては全ての死者の魂のために祈りを捧げるカトリック教の伝統行事「死者の日」。特に、メキシコでは盛大な祝祭が行われるとしてカトリック教国のなかでもよく知られています。

スペイン人が侵入してくるよりもはるか昔、少なくとも3000年以上前からマヤ族やアステカ族といった先住民達の間で、アステカ暦の10番目の月が死んだ子供達のため、その次の月が大人の死者のため、と死者の魂を迎えるお祝いをしていたそうです。現在の暦でいうと7月~8月らしいのですが、スペインに征服されたメキシコ先住民がカトリック教に改宗させられた時、これらの祭りがカトリックの祭日に融合され、現在の「死者の日」になったと言われています。そのお祭りで崇められていたのは、ミテカチウワトゥル(MICTECACIHUATL)という死の女神様でした。
今では「死の貴婦人」(DAMA DE MUERTE)とか、カトリーナ(LA CATRINA)という名称で知られており、今でも死者の日の祭壇を見ると、よく貴婦人のような骸骨を目にします。それがカトリーナです。

現在では、11月1日が子供の魂が戻ってくる日。2日は大人の魂が戻ってくる日。死者の日には墓参りに行き、お墓の掃除をして、花を飾り、お供え物をし・・・ 亡くなった人々の魂を迎え、もてなし、手厚くお送りするという一連の行事、死者の霊を弔うという意味では日本のお盆に共通するところがありますよね。、ところが、そこはラテン!死者を弔うといっても、陽気で楽しいお祭りになっちゃうんです。「この世の人もあの世の人もみんなで一緒に楽しみましょう!」という感じでしょうか・・・。

この日が近付くと街中、オフレンダと呼ばれる祭壇、ガイコツをモチーフにしたお菓子類やキャンドル、オブジェ、仮装した人たちで溢れます。期間中は、仮装パレードやバンドによる演奏、墓地の周辺には食べ物や飲み物やお土産ものの屋台が出て大賑わい。
日本のお盆と同じように祖先の霊を祀る行事、でも「死者」や「お墓」、「死生」の捉え方が日本とは違うようで興味深いですね。

2010/10/07

8月のイベント活動レポート

遅くなりましたが、8月のイベント実施レポートを。。。

《 2010. 8/20 (金) ミゲル・カーニャス フラメンコショー "TABLAO" 》



 2年ぶりの来日、今年はイスラ・デ・サルサでも素晴らしいダンスパフォーマンスを見せてくれたフラメンコ舞踊家ミゲル・カーニャス。来日の締めとなったフラメンコショーには、100名を超える方が詰めかけ会場は熱気に溢れていました。ショーが始まるとともに、類まれなる演技力、ダンステクニックを持つミゲルの舞に会場は釘付け!




今回は、フラメンコ講師タリタとの共演はもちろん、アート講師マカレナによるライブペインティングもあり、ミゲルらしい演出でショーを大成功に収め、今回の特別来日の幕を閉じました。






2010/10/05

魂に響くスピリチュアル音楽

皆さん、「Mantra」(マントラ)って聞いたことありますか? 

サンスクリットで、本来は「文字」「言葉」を意味し、大乗仏教、特に密教では仏に対する讃歌や祈りを象徴的に表現した短い言葉のこと。チベット仏教でよく唱えられる「Om Mani Pedme Hum」(オム・マニ・ペメ・フム)というマントラは世界的に有名ですよね。このマントラはチベット仏教圏ではしばしば音楽にアレンジされ、ヨガや瞑想に使われたり、癒し・ヒーリング効果がある音楽としてたくさんのCDが発売されています。

今回は、アラビアンダンス講座講師で、シヴァ・ダンスのワークショップを開講中のジャクリーン先生がどこに行くにも持っていくという1枚のマントラのCDをご紹介。

“MANTRA” - DEBY KORN


1. Jei Ambe 
2. Om Trayaham Bakam, 
  Om Namo Nama Shivaya 
3. Om Tare Ture Soham 
4. Om Sri Sai 
5. Om Shanti Om 
6. Om Sai Ram 



アメリカ生まれ、育ちはアルゼンチン、現在はコロンビア在住の歌手Deby Korn。
優れた音楽感性と才能で生み出される彼女の音楽は、私たちの奥深くに眠っているものを目覚めさせ、本来の自分自身と私たちを取り巻くものに向き合わせてくれる。
デビー・コーンの音楽はピラティスやヨガ、瞑想、祈りの歌としてよく用いられます。私もシヴァダンスのセッションの時、彼女の音楽をよく使います。特にサンスクリット語でマントラ (真言)を唱えている6曲が収録された「Mantras ~ マントラス」というCDは欠かせない1枚。短いフレーズ (唱えの言葉)が何度も何度も繰り返される曲を聴いていると、頭の中が不思議なほど無の状態になってきます。
振動が身体に伝わってくるサウンドは私たちの肢体と精神を一つに調和してくれ、何とも平穏な気持ちにさせてくれるんです。このCDに出会ってからというもの、どの国へ行くにも必ず私と一緒。ヨガやシヴァダンスをやっていない人でも、単に音楽鑑賞用としても、音の振動を感じ心を落ちつかせるヒーリングCDとして、本当におすすめできる1枚です。



■ 残念ながら日本ではCD販売はされていないようですが、YouTubeなどで視聴することができます。
CDの欲しい方はジャクリーン先生に入手方法を尋ねてみてください。
Deby Korn Official Website ::: http://www.cantosdelalma.com/ でも視聴、動画を見ることが可能です。



アラビアンダンス講座講師:
Jacqueline Tauil  ~ ジャクリーン・タウイル

エジプト舞踊、ベリーダンス、シヴァダンスだけではなく、コンテンポラリーダンス、 コンタクト・インプロビゼーション、タンゴ、ヨガなど、幅広い舞踊ジャンルをこなし、現在拠点のベルリン、イタリア、ブエノス・アイレスなどワールド・ワイドに活躍中の舞踊家。

2010/09/25

タンゴ版「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」

タンゴ講師として来日中のブルーノとシンティアから
おすすめタンゴ映画をご紹介。


“CAFE DE LOS MAESTROS” 
邦題:「アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち」
監督:Miguel Kohan (2008)   日本配給: スターサンズ http://starsands.com/tango/





今回は日本でも今年劇場公開されたドキュメンタリー映画作品「CAFE DE LOS MAESTROS ~ アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち」を紹介します。2006年、ブエノスアイレスの最も古いレコーディングスタジオで、1940年代から50年代に活躍し、アルゼンチンタンゴの黄金時代を築いた歌手、ミュージシャンたちが1枚のアルバムを録音するために感動的な再会。その模様を収録したのがこの映画です。

この作品に参加しているアーティストを知らない人達にとって、アルゼンチンタンゴの歴史やその移り変わり、タンゴという世界を知るには絶好の作品だと思います。
既にタンゴに詳しい人達には、これまで音源でしか聴けなかったような巨匠達が実際に演奏、歌っている姿を見れる貴重な機会。これは、ちょっと感動的ですよ。

私たちにとってこの映画は、胸を揺さぶられるような大きな感銘を与えてくれた作品です。それは、単にタンゴの巨匠たちをステージ上で見ることができたということだけではなく、それぞれの普段の生活に触れることができ、そしてタンゴが一人ひとりの人生にどれぐらい刻まれ、違った人生哲学を与えてきたかを目の当たりにすることができたからです。
また、タンゴダンサーとして、Anibal Troilo、Osvaldo Pugliese、Juan D’Arienzo やCarlos Di Sarliといったトップクラスのオーケストラのミュージシャンのプライベートな部分を知るというのは、今後の活動にとて貴重なものとなりました。

タンゴ受講生の皆さんに限らず、タンゴファン、音楽愛好家の方、そしてタンゴに少しでも興味のある方、全ての方におすすめしたい作品です。DVDが出たら、是非観てみてくださいね。




タンゴ講座講師:
Bruno & Cinthia ~ ブルーノ&シンティア

ブエノス・アイレスからタンゴ界新星のペアダンサー、 シンティア & ブルーノが初来日、12月よりタンゴ講座の講師を務めます。 アルゼンチン国立芸術大学 (I.U.N.A)で舞踊を学び、「第4回 ブエノス・アイレス タンゴ選手権ミロンガ部門 1位」、第6回 タンゴ世界大会」ではファイナルに残るなど、若手ペアながら実力が認めれれているダンサー。現在は、出身校I.U.N.Aのタンゴ舞踊団の所属ダンサーとして、また振付助手として活躍する他、若手ダンサーを集めた舞踊劇団「プント・カチ」を主宰。

私の翼… マントン・デ・マニラ

フラメンコ講座講師タリタが語る
フラメンコにおける西洋と東洋の文化交流




「フラメンコ」の衣装の一部としても重要な役割を果たす「マニラ (フィリピン) のショール」という名のマントン・デ・マニラ。フラメンコを観たことのある方なら、一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
このショールの由来となっているのは、名前から想像ができるように、旧スペイン植民地であったフィリピンの首都マニラ。でも、その起源は中国なんです。絹でできたこのマントンは16世紀に西洋へ渡ってきました。当時は様々な品が東洋から伝わってきていた時代。マニラ港は主にアジアとメキシコのベラクルス港、スペインのセビージャ港を結ぶ重要な寄港地でした。

西洋に渡ってきたマニラのマントン、当時は中国らしい刺しゅうが施されたものが主流だったんですよ。たとえば、ドラゴンや竹、仏堂など。大きさは今と同じ、両腕を広げた状態で手首から背中全体を覆うことがでるサイズ。広げた両腕と体で十字架ができる大きさ。
その後、刺しゅうデザインが花言葉的意味合いを含めた鳥や花のデザインになり、スペインで房飾りを加えるようになってから、マントン・デ・マニラはセビージャを中心にスペインの女性たちに大流行。(例えば、菖蒲は純潔、マーガレットは焦燥、薔薇は秘密、ヒマワリは忠治さの象徴として。)一般階級から上級階級まで女性たちはおしゃれの一部としてマントン・デ・マニラをまとい始めました。流行が去った後も、フラメンコ界の女性達には衣装の重要な一部として使われていたのが、現在のマントン・デ・マニラなんです。


マントン・デ・マニラはスペインに伝わってからずっとフラメンコ界の女性達に愛用されていました。La Macarrona, La Malena, La Argentina, Pastora Imperio, La Niña de los Peinesなどの歴代女性舞踊家・歌手たちは素晴らしい刺しゅうを施したマントン・デ・マニラを纏い、写真にその姿を残しています。
でも、舞踊家にとってマントン・デ・マニラは単なる衣装のお飾りではないんです。踊りにマントンを取り入れるには、それなりのテクニック、修練が不可欠。いかに身体の一部として扱えるか・・・ 多くの舞踊家、振り付け師が主張するように、しっかりマントン・デ・マニラを扱えてこそ、それは踊りをより素晴らしいものにしてくれる美しいスパイスになりえるんです。「soleá del mantón」で知られるMilagros Menjíbar や Blanca del Reyのように、マントンの扱いの美しさでその名を世に広めた舞踊家もいます。
私にとってマントンは、両腕から広がる大きな翼。自由の象徴、思いのままに空を飛び回るために与えられた羽のようなものです。  



フラメンコ講座講師: Talita Sanchez ~ タリタ・サンチェス
舞踏家であり、プロデューサーでもあるアナ・ゲレーロの娘で、幼少期からダンス学校で様々なジャンルのダンスを学ぶ。フラメンコの名門「アモール・デ・ディオス」でフラメンコの技術を大成する。1994年、母アナ・ゲレーロと共にダンス講師やダンサーの団体を設立。様々なダンスフェスティバルを開催、多くの楽団と共演し、表彰されている。同時に、国内外でのフラメンコの指導にも力を入れている。

2010/09/09

「Fukuoka」「Momochi」の名がますます世界に広まる!

昨日、「おすすめCD」としてご紹介したフアン・ルイス・ゲラの新曲
「Bachata en Fukuoka ~ バチャータ・エン・フクオカ (福岡でバチャータ)」

今日9月8日、第11回ラテングラミー賞の各部門のノミネートが発表され、何と、
フアン・ルイス・ゲラがこの曲で
- Mejor Canción Tropical (ベストトロピカルソング)
- Mejor Video Musical Versión Corta (ベストミュージックビデオ)
2部門にノミネート!

この他に同曲が含まれる新アルバム「A Son De Guerra」で
- Album Del Año (ベストアルバム)
- Mejor Album Tropical Contemporáneo (ベストコンテンポラリートロピカルアルバム)
にも名が挙がっており、合計4部門にノミネートされています。

第11回ラテン・グラミー賞の授賞式は2010年11月11日、ラスベガスのマンダレイ・ベイ・リゾートで行われ、米国最大のスペイン語放送局ユニビジョンで放送されます。

ラテン音楽だけでグラミー賞をやってしまおうと言うのだから、それだけラテン音楽が世界で愛されている証拠ですね。このラテングラミー、ポップスやロック、コンテンポラリーからフォルクローレまで様々なカテゴリーがあるので、今流行りのラテン音楽は何かチェックするのに見逃せません。

さて、フアン・ルイス・ゲラ、我らが「Bachata en Fukuoka」で賞を獲得して欲しいですね。これでますます「Fukuoka」「Momochi」の名が世界に広まること間違いなし!




ラテン・グラミー賞(西:Premios Grammy Latinos)は2000年に創設されたグラミー賞のラテン版。主催はラテン・アカデミー・オブ・レコーディング・アーツ&サイエンス(LARAS)。
http://www.latingrammy.com/

2010/09/07

Bachata en Fukuoka

“Yo canté tu bachata aquí en Fukuoka ...  ”
(僕はここ福岡で君のバチャータを歌ったよ…)

昨年アジア初の公演を福岡「第13回ボーダーレスミュージックフェスティバル イスラ・デ・サルサ2009」のステージで果たしたグラミー賞、ラテングラミー賞受賞歴13回を誇るラテン音楽界の帝王、フアン・ルイス・ゲラ。



そのフアン・ルイス・ゲラが、イスラ・デ・サルサでの日本初公演の思い出や感謝の気持ちを込めて綴った新曲「Bachata en Fukuoka ~ バチャータ・エン・フクオカ (福岡でバチャータ)」。もう聴かれましたか?

今年6月にリリースされたニューアルバム「A Son De Guerra」のプロモーションシングルカットとして、3月に音楽配信サイトで先行配信されたこの曲。
突然舞い込んできたこのニュースに、ティエンポスタッフ一同、大興奮! とても光栄に思うとともに大感激しました。


 “Dile a la mañana que se acerca mi sueño, que lo que se espera con paciencia se logra ~  ” 
 (朝に「僕の夢が叶いつつある」と言ってやって。 根気強く願い続ければ、思いは叶う…)

という歌詞で始まるようにフアン・ルイス・ゲラは長年日本公演を夢見て、これまで何度か来日公演の企画がありましたが、実現には至らず。。。
それだけに、昨年8月の来日公演では、日本のラテン音楽ファンを前に自分の音楽を伝えられたこと、見るもの食べるもの全てに大感激。



フアン・ルイス・ゲラの初来日は、ロイター通信、EFE(エフェ)スペイン通信社を通して、世界の600チャンネルへ情報が発信され、雑誌・新聞等、多数の国内外メディアに取り上げられました。前回リリースしたアルバムでグラミー賞受賞、ラテン・グラミー賞主要6部門独占受賞(2008年度)を成し遂げているフアン・ルイス・ゲラの新曲には大きな期待が寄せられていただけに、曲のタイトル、そして歌詞で繰り返される「Fukuoka」「Momochi」とは?? と我らが福岡が世界中で今話題を呼んでいます。

私たちの活動をこのような形で、世界中の人達に知ってもらえるのはとても嬉しいこと。
「これからも頑張るぞ!」と大きなエネルギーをフアン・ルイス・ゲラからプレゼントされたような気がします。


「バチャータ・エン・フクオカ」曲が含まれた
ニューアルバム「A Son De Guerra」は
9月にEMI Music Japanより発売予定。

2010/09/05

シヴァダンス (Shiva Nata) って何?

8月からティエンポで新しく開講されたアラビアンダンス講座。
講師として現在来日中の舞踊家Jacqueline Tauil (ジャクリーン・タウイル)さんは、エジブト舞踊やシヴァダンスなども専門として現在活動の拠点としているドイツ・ベルリンを中心に公演、講師活動をされています。

今月も「シヴァ・ダンス1回完結ワークショップ」を開講していますが、日本ではまだ聞きなれないこの踊り、一体、どんなものでしょう。ジャクリーン先生に聞いてみました。







シヴァダンスのシヴァ (Shiva)とは?


インドやネパールで信仰されているヒンズー教。ヴェーダ聖典・カースト制度等、多くの特徴をバラモン教から引き継いだ多神教で、輪廻や解脱といった独特な概念が特徴的な民族宗教です。 
ヒンズー教には、三神一体(トリムルティ)とよばれる近世の教義があり、「中心となる3神、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァは一体をなす」とされています。そう、シヴァはその3最高神のなかの一神。宇宙原理の中で、ブラフマー神が創造(スリスティ)、ヴィシュヌ神がその維持と繁栄(スティティ)、シヴァ神が破壊(プララヤ)を司っていると考えられているんです。その中でもシヴァ神は、世界の寿命が尽きた時、世界を破壊して次の世界創造に備える役目をしている重要な神の1人として扱われています。

左の写真は、シヴァ神を表す像。胴体からのびる4本の腕。それぞれのポーズをとる4本の手は、それぞれ象徴的な道具を持っているところを表現しています。

一つ目は、ダマルと呼ばれる砂時計形の胴をもつ両面太鼓を持つ手。この太鼓で世界創造のリズムを取ると言われています。

そして二つ目の手には、 「再生」「破壊」「現世」を表す先が3つに分かれた「トリシューラ」と呼ばれる鉾を。三つ目の手には「破壊」と「浄化」を意味する火炎(アグニ)。そして、最後の手は、「保護・庇護」を象徴した型をとっています。
踊っているかのような両足の動き。持ち上げている左足は、救いの道の方角を指し、そしてしっかりと地面に踏みつけている足は、悪を破壊することを象徴しています。

シヴァ神は、ナタラージャ(Nataraja)とも呼ばれています。"Nata"は「踊り」、"Raja"は「王」、「踊るシヴァ神」という意味。シヴァ神は「踊りの神様」とも言われ、彼の踊りは宇宙のリズムであり、統一性の象徴で存在のリズム。踊りで、宇宙を創造し、維持し、世界の終わりに 宇宙を破壊し、また創造する、宇宙の再生を導いていくと考えられているんです。その姿を描かれたのがこの写真の像なんですね。


シヴァ・ナタ (シヴァダンス) ってどんな踊り?

意識のコントロールと開放のヨガ的エクササイズ

「シヴァ神の踊り」の名がついたこのシヴァ・ナタ (シヴァダンス)は、武道と古来のシヴァ神の踊りから作られたこのトレーニング法は、手と足の一連の動きを組み合わせながら、身体を整え、集中力、心と体の一体化、バランスを保つ訓練。同時に肢体の筋肉も鍛えることができます。運動と同時に呼吸法、精神統一、リラクゼーションも取り入れているので、ダンスというよりピラティスやヨガのようなエクササイズと表現した方がイメージにあうかもしれません。

私が習得したシヴァ・ナタは、ウクラニア人の Andrey Lappa (アンドレイ・ラッパ. 旧ソビエト連邦で最も影響力あるヨガマスターの一人) が数式をベースに編み出したトレーニング法です。
写真のように4つの水平な腕の動きと、4つの垂直の動きの組み合わせで成り立っており、それぞれの動きに数字の番号がついていて、その数番を組み合わせていきます。腕と足の位置が複雑に組み合わさっているため最初は混乱した状態になりますが、次第に整然とした、調和のとれた感覚を得ることができるんですよ。心と体が支配しているものから解き放たれるような感じでしょうか。





このシヴァ・ナタ (シヴァダンス)は、ほんの12年の歴史しか持っていません。
世界中に修行者がいますが、なかなかレッスンを受ける機会に恵まれていないというのが現状。男性、女性、また経験を問わずチャレンジできますので、是非 私と一緒に是非シヴァ・ナタにトライしてみてください。 

2010/09/01

Santiagoが "STATUSdesign" に登場!

STATUSdesign - ステイタスデザイン - という雑誌に、
ティエンポのセンター長、サンティアゴのインタビュー記事が記載されました。



ティエンポがどうやって誕生したのか、どんな団体なのか、
とても分かりやすい記事になっていますので ご紹介します。


<以下 インタビュー記事転載>



大切なことは、人々の「動き」を生み出すこと。
そこから、すべてが始まるのです。


1993年、福岡にやってきた1人の若きアルゼンチン人が情熱のすべてを注いで始めたイベロアメリカ(スペイン語、ポルトガル語圏)の文化を発信する試み「ラテン文化センターティエンポ・イベロアメリカーノ」。
今では福岡の夏を彩る定番イベントとなった「イスラ・デ・サルサ」の主催団体としても有名だ。休むことなく次々に打ち出される企画は、福岡のみならず全国的に注目を集めている。
今年の7月には、現在の天神と赤坂にある二つの拠点を統合し、大名の「Daimyo11511」に本拠地を移すことが決定している。
止まることを知らないセンター長 サンティアゴ・エレーラ氏のエネルギーはいったいどこから生まれるのか?



23歳、祖国アルゼンチンを飛び出し世界中を旅した。


- 20代の時にバックパックで世界中を旅されたそうですね。

サンティアゴ(以下S) 私は、アメリカ・シアトルで生まれ、6歳までフランス暮らし、学生時代はアルゼンチンで過ごしました。23歳の時に、もっと色々な国を見てみたいと思い、なにも考えずに600ドルをポケットに入れてニューヨークに行きました。2・3ヶ月で帰ってくると家族に告げて行ったのですが、結局3年間帰りませんでした(笑)
ニューヨークからカナダに行き、ヨーロッパへ渡り、ゴルバチョフがペレストロイカをとなえていたソビエトに行き、気がついたら列車に乗って中国に来ていました(笑)
そんな旅の途中に、とても気が合うスウェーデン人と出会いました。「自分は日本のフクオカという街で英語を教えている」と彼が言ったのです。それが、生まれて始めて聞く「フクオカ」という地名でした。それをふと思い出し、日本に行くことを決め、福岡でも数ヶ月を過ごしました。他にも韓国、パキスタン、インド、ネパールなど40カ国をまわりました。最後にサハラ砂漠を見て、アルゼンチンの家に帰りました。


- 世界中をまわって若き日のサンティアゴさんはなにを得たのでしょう?

S 例えば、インドの街角には、普通に人間の死体が放置してありました。私たちは「一生」という言葉を頻繁に使いますが、道ばたに横たわるように死んでいる人間の「一生」とは、いったいどういうものなのでしょう?旅は、重要な「問い」を私にもたらせてくれました。


- その後、また福岡に来ることになるのですね?

S 楽しい仲間たちと出会えた福岡に戻って来て2年程は、スペイン語を教えながら囲碁に夢中になりました。 囲碁を通じて、私は日本を学んだような気がします。ヨーロッパにはチェスというゲームがありますが、チェスの目的は、王様を殺すこと。でも囲碁には、王様のような中心がありません。全体を読み取るセンスとバランスが勝敗を左右します。まさに東洋の神秘にふれているような体験でした。


ティエンポの誕生


- ティエンポ・イベロアメリカーノを始めたきっかけは?

S 福岡の人達にラテンアメリカという存在を近くに感じてほしいと思ったのがきっかけです。ティエンポでは、一緒にプロジェクトを実施するために、日本人と外国人が集まります。国籍の違うもの同士が何かを始める時、お互いのことを理解せざるを得なくなります。人種や宗教、生活習慣や物事に対する価値観が違う人々が出会い、対話を始めることが文化的行為なのだと思います。また、「違い」を体感することにより知識が豊かになっていきます。
ティエンポは、そのような行為が生まれる場所でありたいと思っています。


- 日々の活動の中で大切にされていることとは?

S 「ティエンポも大きくなったね」とよく人に言われるのですが、ティエンポは、私が決めた大きな目標にみんなを導いていくという組織ではないのです。個人の目標があり、そこに向かってそれぞれが歩んでいくというものです。行く先は別々でよいのです。
現在、私たちの組織を経て、メキシコやキューバに旅立ち、そこで暮らしている仲間達が沢山います。ティエンポが彼や彼女らの行動力を起こさせるきっかけになったとしたら、それが私たちの喜びなのです。


- ここを訪れる人は、そのような考え方が新鮮なのかもしれませんね。

S 私たちは合理性に基づいて活動しているわけではありません。例えば、毎年夏に開催する「イスラ・デ・サルサ」というイベントの制作や運営のほとんどすべてを、われわれは、仲間達と共に自力でおこなっています。ステージの看板も一ヶ月かけて自分たちでつくります。
非合理の極みです(笑)それでも私たちは余計な何かにこだわっています。合理性からこぼれ落ちるものの中に人を感動させる何か、人生という名に値する何かがひそんでいると信じています。手間ひまかけ過ぎてスタッフにいつも怒られているのも事実ですが(笑)


- 7月には、新しい拠点が大名に誕生するそうですね。様々なプロジェクトを抱えて不安はありませんか?

S 私たちがもっとも力と注意を注いでいることは、自分たちのイニシアティブを守り続けることです。では、何をしなければならないのか?それは、人々の「動き」を生み出すことです。それから、驚きを与え続けること、クリエイティブであることを優先すべきだと思っています。もし、経済的な利益だけが目的だとしたら、不安ばかりの毎日でしょうね。


- 最後に、世界中を旅したサンティアゴさんから見る福岡という街はどんな街ですか?

S 都会ですね。でも世界中の大都会が抱えているような悪い習慣をこの街は持っていません。素晴らしい街ですよ。ここを訪れた多くのミュージシャンやアーティストはこの街が大好きになって帰っていきます。昨年来日した、ラテン音楽のスーパースター、ファン・ルイス・ゲラは、夏の百道浜でのライブの体験に感動して、3月に出した新曲で福岡のことを歌っているのですよ。
「夕日が空のキャンパスを染め、百道浜を歩いた。僕の夢〜」という歌詞です。
信じられないぐらい凄いことです。



Plofile
Santiago Herrera (サンティアゴ・エレーラ)
1967年生まれ。出生地はアメリカ。その後6歳までフランスで暮らす。初等・中等・大学はアルゼンチン・ブエノスアイレスで修了。世界40カ国を旅行後、1993年来日。1997年に「NPO団体ラテン文化センターティエンポ・イベロアメリカーノ」を始動。現在、同センター理事兼センター長を務める。

2010/08/20

ティエンポ活動 遂にシドニーオペラハウスへ。



昨年は、これまでのティエンポの活動が認められ、ドミニカ共和国政府観光局による協賛という形で、ラテン音楽の帝王と言われるフアン・ルイス・ゲラのアジア初公演を実現。これまでなかなか実現できなかったフアン・ルイス・ゲラの来日のニュースは、ロイター通信、EFE( エフェ)スペイン通信社を通し、世界の600 チャンネルへ情報が発信され、雑誌・新聞等、多数の国内外メディアに取り上げられました。また、「イスラ・デ・サルサ」で長年の夢であった日本公演を果たしたフアン・ルイス・ゲラは、今年3月、福岡でのステージの思い出を綴った曲「Bachata en Fukuoka ~福岡でバチャータ」をリリース。世界に向け「福岡」の名が発信され、大きな反響を呼んでいます。



今年、「イスラ・デ・サルサ」の海外メインバンドとして招へいしたキューバンサルサの王者ロス・バン・バンは、「ビベラ! サルサツアー」で6都市7公演を敢行。東京、名古屋、福岡の地行浜の「イスラ・デ・サルサ」、ブリスベン、メルベルンを渡り、世界で有数な名門歌劇場「シドニーオペラハウス」での公演を大成功に収め、2010年のツアーを幕を閉じました。福岡から発信している異文化交流の輪、ティエンポの活動が遂に今年、シドニーオペラハウスにまで届けることができました。

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Vivela! Salsa Tour (ウェブサイト)